アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
「絵本には描かれていないけど、このお話には続きがあるのよ。聞きたい?」
美代子叔母さんは、絵本を最後まで読み終えると、いたずらっぽい笑顔を浮かべながら私たち兄妹にそう聞く。私たちが頷くと、満足そうに絵本を閉じ、さあここからが本番よと言わんばかりに童話の続きを語り始める。
叔母さんの語る「お話の続き」は、ときに私たちをもやもやした気持ちにさせた。「シンデレラ」の場合はこうだ。残された二人の意地悪な姉は、最初こそ地団太踏んで悔しがったけれど、やがて自らの過ちに気付き、善行を積むようになる。その結果、貧しいけれど心の優しい男と結婚し、魔法に頼らずとも幸せに暮らした。
人は変われる、という教訓になる良い話だと思う。だが、本編のシンデレラを苛めるくだりで、なぜか粗暴な方言にアレンジされていた姉たちの言葉使いが、続編になるや、上品な標準語になっていることに違和感を覚え、そちらの方が気になった。だが叔母は細かいことは気にしない。私たちが喜べばそれでいいのだ。
そのころ母親は体調を崩して入院しており、子どものいない叔母はうちに泊まり込んで、私たちの面倒を見てくれた。そして夜になると、幼い兄弟の母親不在の寂しさを紛らわそうと、本棚から絵本を取り出して読んでくれた。幼稚園に通い始めたばかりの妹はともかく、小学二年生だった私はもう絵本という年齢ではなく、「お話の続き」は彼女のオリジナル作品だと気付いてもいたけど、叔母さんの熱演に、驚いたり、笑ったりした。
五人兄弟の末っ子で、お茶目で大らかな美代子叔母さんとは対照的に、⾧男である私の父は生真面目で几帳面な性格だった。似たもの夫婦、と言えばよいのか、母親は父に輪をかけて真面目な人だった。嘘をついたり、約束を守らないと叱られたが、特別に厳しく育てられたとは思わない。勉強しろと言われた記憶もあまりない。両親に何の不満もなかったが、友人から、酔っ払って玄関で寝てしまうだらしないお父さんの話を聞くと、少し羨ましかった。私は自由でちょっとお調子者の美代子叔母さんが大好きだった。
「お兄ちゃん、一度実家に戻ってきてよ。この前の台風で瓦が飛んで、庭にスズメバチの巣もできて、色々大変みたいなの」
他県に嫁ぎ、受験を控えた子どもを二人も持つ妹から電話があった。
三年前に父が亡くなったあと、私たち家族が暮らしていた古い一軒家は空き家になっている。同じ市内に住む美代子叔母さんが時々来て、風を通してくれているようだが、築五十年近い家はもうあちこちガタが来ているようだ。
⾧かった海外勤務を終え一年半前に日本へ帰任した時には、叔母さんへの挨拶も兼ねて、すぐに帰省するつもりでいた。だが、コロナ禍での移動自粛要請で思い留まった。他人に迷惑をかけるかも知れないことはできない。私もまた両親に似て、生真面目なのだ。だから、ご近所迷惑になりそうな蜂の巣と聞いては帰らないわけにはいかない。
帰省しようと決めた理由はもうひとつある。私はいま、会社を辞めようかどうしようか迷っている。以前、転職した会社の先輩から「踏ん切りがつかない時は、実家で、ぼーっと過ごすといいよ。まだ何者でもなかった素の自分に戻れて、大切なものが見えてくる。子どもの頃の自分の声に耳を澄ますんだよ」と聞いたことがある。眉唾な話だと思うが、職場のある東京を離れ、自らの来し方行く末を考えるのもいいかな、と思った。私は一週間のリフレッシュ休暇を取り、地元へ帰った。
蜂の巣駆除業者、屋根修理業者、更には水回り工事会社……。あちこち電話して、応急処置を依頼する。空き家は傷みやすいというが、本当だ。
こんなご時世だし、と躊躇しながら叔母に電話すると、
「大丈夫よ。ワクチンも打ってるし。おいでよ」
と元気な声が返ってきた。
叔母に会うのは父の葬儀以来だ。今年八十歳になる叔母もまた、四年前に伯父を亡くし、今は独りで暮らしている。声の調子や話し方は昔と変わらないが、浮き出た手の静脈や肌の色を見ると歳をとったのだなと思う。
ひとしきり世間話をしたあと、
「どこか行きたい所とか、やりたいことは無い?レンタカーを借りて温泉でも行く?」
と持ち掛けた。