【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『美代子叔母さんのエール』秋生真寿


最初は、いいよあんたも忙しいだろうから、と遠慮していた叔母だが、暫く考えたのち、何かを思いついたようで、懐かしいいたずらっぽい笑顔を浮かべて言った。
「それじゃあ、お言葉に甘えてひとつお願いしようかな。私、焼鳥屋さんに行ってみたいのよ」
「や、焼鳥屋?」
予想外のリクエストだった。
「そう。ドラマに出てくるような、会社帰りのサラリーマンで賑わっている焼鳥屋。前から一度行ってみたいと思っているんだけど、なかなか機会がなくて。あんた焼鳥屋さん得意でしょ?」
別に得意でも不得意でもないが、そんなことならお安い御用だ。
叔母の家からなるべく近い店がよいだろうと、帰りに最寄りの駅前を歩き回った。
(小洒落た店もあるけど、庶民的な騒がしい店を期待しているんだろうな)
そう考えていると、路地を少し入った所に、「焼き鳥平八」と書かれた赤い看板を見つけた。店構えから一目瞭然だが、入口脇の電飾看板には、店名の横に「大衆酒場」と念押しまでしてある。
「ここだな……」
翌日の夕方、私たちは平八で落ち合うことにした。

時間がまだ早いので席は空いていた。強面の大将と思しき中年男性が、カウンターの中からテーブル席のひとつを勧めてくれたが、叔母はカウンター席の方を指さし、「こっちでもいいですか」と断って、大将の目の前に、よっこいしょっと座った。
「テーブル席の方が、ゆっくりできていいんじゃない?」
「いいのよ。焼鳥屋はカウンター席に座るものでしょう」
ドラマの影響だろうか、叔母の中ではそういう決まりになっているらしい。取り敢えず生ビールを二つ注文する。叔母はけっこういけるクチなのだ。
「亡くなった主人はお酒が飲めなかったじゃない。お友達と焼鳥屋に行きましょうかって話にはならないし。かといって一人じゃとても来れないし。やっと念願が叶ったわ。今日はどうもありがとう」
念願とは大袈裟だが、とにかく喜んでくれてよかった。
私の父も下戸だった。成人した私と焼鳥屋のカウンターに並んで酒を酌み交わしたいと思っていたのだろうか。母はテレビドラマの焼鳥屋に憧れただろうか。両親に聞いておけばよかったと思うことはたくさんある。
とり皮のポン酢和え、冷奴、豚バラ、つくね、砂肝、しいたけ肉巻き……。壁にずらりと並んだ木札のメニューを見ながら、焼鳥屋初心者とは思えないバランスの良さで、叔母は次々に注文をする。
「ぼんじり、って何?」
「えーっと。たしか、ニワトリのお尻の辺りの……」私が言い淀んでいると、
「鳥の尻尾の骨の付け根にある肉です。ちょっと脂っぽいけど、コリコリして美味しいですよ。塩がお勧めです」
と店⾧がフォローしてくれる。強面だが意外といい人なのかも知れない。ひょっとしたら、叔母を見て故郷の母親のことを思い出しているのかも知れない。
生ビールを飲み終え、叔母は梅酒、私は芋焼酎をロックで頼む。かつて絵本を読んでくれた叔母と、焼鳥屋のカウンター席に座っていることが不思議に思える。だが、お互い生きているからこんな機会があるのだ。脂肪肝やら高血圧やら要注意案件を色々抱えている自分のことは棚に上げ、美代子叔母さんいつまでも元気でいて欲しい、と思う。
「ところで最近、仕事はどうなの?」
最近観た映画の話をしていた叔母が、急に話題を変えた。
「急にどうしたの。仕事の話なんて」
「だって、焼鳥屋ではこういう話をするもんじゃないの。あんたも上司にお説教されたり、部下の肩を叩いて励ましたりしてるんじゃないの」
叔母の声が聞こえたのか、カウンターの中で大将が笑っている。
(現実のサラリーマン界では、最近そういうのは流行らないんだよ。酔った自分が言いそうなことが分かるから、パワハラにならないように、後輩はあまり誘わなくなったし)
頭に浮かんだセリフを飲み込んで、当たり障りのない返事をする。
「まあ、普通だよ。役職定年になったあとは、会社に居てもなんか暇になっちゃったけど」叔母は「そう……」とだけ言い、黙ってつくねを頬張った。
叔母に心の中を見透かされている気がした。それとも、悩んでますよと顔に書いてあるのだろうか。

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