【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『オレンジの実家』中村里新

「今日でテスト終わったんだよね。今年の夏は実家帰って来れるだら?」
「バイトあるから無理だと思う」
素っ気なくて、とげのある声になってしまい自分でも驚く。
「毎日バイトがあるわけでもないなら、一日でもいいで顔見せに来てくれたっていいじゃないの?」
と母にも僕の不機嫌が移ったようで、とげのある声が返ってきた。僕が答えないでいると、母は沈黙を納得した、と判断したのか、
「あさっての午前中に予防接種の予約をしといたから、明日の夜にはこっち帰ってきてよ」と用件を伝えて、こちらの返事も聞かずに勝手に電話を切ってしまった。
かけ直して断ろうと思ったが、少し遠州弁が混じったねちねちしたあの声をもう一度聞きたくなかったし、どうせ電話にでないだろうな、という予感がしてやめた。空っぽの部屋に、重たいため息がまた蓄積されるのが分かった。
かくして、僕は半強制的に約一年半ぶりに実家へ帰ることになった。
翌朝はうっとうしいほど日差しが強く、僕の心とは裏腹に天気は快晴だった。僕は昼食を取ると、名駅の土産屋で買った味噌煮込みうどんを片手に、重たい足取りで実家がある掛川に向かった。掛川は田舎であるが、駅の近くはそこそこ栄えていて新幹線のこだまも一応止まるのだ。もちろんそれに乗れば一時間半ほどで着くのだが、乗り換えを二回までして、鈍行で三時間かけて帰った。
改札を抜けると、夜の駅前は意外にも人通りは少なく、街全体が眠ってしまったかのように静かだった。私は大通りを左折して、ぽつんぽつんとオレンジ色の街灯が照らす細道に入っていく。のしのしと歩を進めると、その最奥にひときわ明るい光が浮かび上がり、我が家にたどり着いた。
ただいま、と僕が言うより前に、風呂場の方から
「お帰り、遅かったじゃん」
という母の声が聞こえた。電話で聞いたときよりも、まるくて柔らかい声だったことに意表を突かれつつ、リビングへと足を運ぶ。机の隅で縮こまって夕飯を食べていた父と目が合い、会釈を交わす。
「これ、お土産」
と、紙袋を渡すと父は、
「どうも」
と挨拶とも感謝の言葉ともとれる曖昧な言葉をぼそっとつぶやいて、受け取った。なんだよそれ……。受け取った袋の中身が思っていた以上に重かったのか、袋を持つ父の右手が一瞬沈んだ。中身をチラリと見て、何も言わず再びご飯を食べる父の背中は、以前に比べて二回りほど小さくなっていた気がした。僕は思わず目を背けてしまった。
祖父と祖母は僕の弟と妹を連れて旅行に行った、と風呂から出てきた母が言っていた。
「二人とも七十超えてるのに、ほんと元気だよね」
と、誰にいうでもなくぼやきながら、僕の分の夕食とスイカの入ったタッパーを冷蔵庫から取り出した。それから父の隣に腰を下ろして、のそのそとスイカを食べ始めた。三人で食卓を囲むと、不意に自分はこの二人に育てられたのだなと思った。自分が二十年生きてきた間に、二人も同じ時間を過ごしていたのだと実感して、胸の奥がキュッとしぼんだ。お土産はうどんよりういろうの方が良かったかもな、と思ったがもちろん口には出さなかった。

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