【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『雪消』東雲日々希

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

くりかえし、くりかえし。張り裂けそうになる胸を押さえながら、ここにいる。「いつかは」と淡い期待を捨て切れずに。

「やっと、落ち着いたわね」
ゆらりと細くたなびく煙の向こう、写真の中で微笑む夫からの返事はない。納骨も遺品整理も済み、これからは夫のいない一人の生活が始まろうとしていた。それは今までとは何もかも違う、新しい生活だ。
「さて、何をしようかしら」
気負い立ってみたものの、すぐに肩を落とす。「新しい」なんて前向きに聞こえる言葉だけれど、愛する人のいない生活はひどく孤独だった。こうして一人残されるくらいならいっそ、私が先に逝ってしまいたかったと思うくらい。
「いけない、いけない」
かぶりを振る。最近はどうにも、良くないことばかり考えてしまう。気分転換にお散歩でもしようかしらと重たい腰を上げた時、玄関のチャイムが鳴った。
「はい」
扉を開けると、家の前に一人の青年が立っているのが見えた。庭を見つめる切長の瞳は物憂げで、色彩豊かな爛漫の春情からは少し浮いた、冬の月のような静謐さがある。
「こんにちは」
私に気づくと、どこか影のある表情は一転。爽やかな挨拶とともに人懐っこいような、明るい笑顔が咲いた。
「どちら様でしょうか?」
私の警戒したような声音に、青年は胸に手を当て、わずかに眉を下げた。
「……俺のこと、覚えてない?」
記憶を辿るが、こんなに若い知り合いはいない。初対面ではないだろうかと首を捻る。
「ちょっと思い出せないわ。何の御用かしら」
「そっか、じゃあ初めましてだね。俺は維新って言います。これからしばらくここに通わせてもらうので、よろしく」
朗らかに言い放たれて一驚する。が、ちょっと待って。
「そんな話、知らないわ。急に見ず知らずの人が来るなんて……」
「自己紹介したんだから、もう知り合いだよ」
「一方的じゃない。私はまだ名乗ってもないのに」
「だって俺は知ってるよ、藤戸サキさん」
氏名を当てられ、思わずどきっとしてしまう。
「何で、知ってるの?」
私の疑問に、青年は囁くように答えた。
「実はね。俺、昔お世話になってたんだ」
むかし、と反芻してみても心当たりがない。いつのことなのかも、彼が誰なのかもわからなかった。
「だから、恩返し。返し切れるかわからないけど、少しでも受け取ってもらえたらいいな」
強引だが悪意があるようにも、嘘をついているようにも見えなかった。私は観念して両手を上げる。身に覚えはないが仕方ない、文字通りのお手上げだ。
「……わかったわ、好きにしてちょうだい。でもごめんなさいね。最近どうも忘れっぽくて、失礼だけどあなたのことを思い出せないのよ」
「あなたじゃなくて維新だよ、さっちゃん。そのうち思い出すかもしれないし、大丈夫」
維新君は言い聞かせるように私を見た。不安がる私を慮ってのことだろうか、小首を傾げて柔らかく笑んでみせる。空気が甘く、優しく和らいでいく不思議な感覚に、私はしばらくぼんやりと立ち尽くした。
「ゆきじいにお線香あげてもいい?」
はっと我に返る。ゆきじい……もしかして夫のことかしら。
「ええ、どうぞ。狭い家だけれど上がって」
「お邪魔します」
維新君は靴を丁寧にそろえ、中に入る。迷うことなくリビングの仏壇の前に来ると、線香に火を点け手を合わせた。私はその横顔を眺める。
すっきりとした一重瞼に少し高めの鼻、薄い唇。その真剣な表情には、不思議と夫の面影が見えた。
「そうやって真面目な顔をしてると、若い頃の雪治さんに似てるわね」
「そう? じゃあゆきじいもモテモテだったんじゃない? 俺、よく男前って言われるし」
嬉しそうに瞳を輝かせながら、顎に指を当ててポーズを決めるのときゅるる、という可愛らしい音が鳴ったのは同時だった。
「何かしら」
「俺の、腹の音……」
恥ずかしそうにぽりぽりと頬をかきながら、えへへとはにかむ。時計を確認すると、とうにお昼を過ぎていた。
「男前も空腹には勝てないわね。何か作ってあげる、よかったら食べていって」
「いいの? 俺、さっちゃんの手料理大好きなんだ。俺は何を手伝えばいい?」
「そうね……じゃあ、玉ねぎを薄切りにしてもらおうかしら」

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