【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『ラブストーリーはいつも突然なのさ』橋詰やす子

「あの、すみません、皐月にはできれば言わないでいただけると……すみません。私も何もなかったと報告するだけなので」
それでも5万円+αが諦められない私は、どうしようもない願いを彼に提示する。ワンチャン、いけるかもしれない、と。
しばらく雨の音だけが、二人の間に流れた。
「あの」
「はい!」
勢いよく返事しすぎた。男も少しびっくりしているようで、カラダが少し跳ねたのがわかった。
「あのですね、皐月さん?って誰のことでしょう……?」
「……は?」
「俺、いま誰とも付き合っていないのですが」
「……へ?え、あの……霧島譲さんですよね?」
「はい。そうですが……あれ、人違いじゃないですね」
私は彼からスマホを受け取り、写真フォルダをタップして、皐月が映っているものを探す。そしてやっと見つけた1枚を、男に見せた。
「あの、この子なんですけど……」
目を細めて私のスマホを凝視する男。こんな時になんだが、顔が、顔が良い。
「あ、こないだの合コンであった子かな?宮野さん、ああ。いた気がする」
「……それだけですか?」
「ですね」
男が嘘をついているようには見えない。ということは、もしかして付き合う前の身辺チェックに使われただけなのだろうか、私は。
「そう、なんですね」
なんとか言葉を口から発する。怒りというか、呆れというか、情けないというか。マイナスの感情をブレンドした何かが、私の肩にドッと乗っかかってきて、とてつもない疲労感に襲われる。
「とにかく、すみませんでした。そういうことなら写真もすべて、削除しますので。本当に、ご迷惑かけて申し訳ございません」
隠し撮りも立派な犯罪だ。私は深々と頭を下げ、できる限り丁寧に謝る。
また雨の音に支配される。少しの沈黙のあと、雨の音に加わったのは男の声だった。
「あの、写真は全然いいんですけど。……よかったらこれから飲みに行きません?」
「え、……はい。あまり高級店は無理ですが、慰謝料ということで」
そうしおらしく言い切ると、男は突然吹き出した。
「も、もうだめだ、面白い」
「……は?」
目の前には、腹を抱えて、爆笑している男。男の前には、呆気にとられているアラサー女。
はたから見ると、変な二人だったと思う。実際に、カフェに入っていく幾人かの人は、怪訝そうにこちらを見ていた。
「あの」
「あ。すみません。慰謝料とか全然いらないんで。むしろおごるんで。飲み行きましょ、ね」
「はあ」
おごりならやぶさかではない。そう思っていることを察したのか、男は私の手を引いて、カフェの軒先から出る。いつの間にか、土砂降りだった雨はきれいさっぱりと止んでいた。

「……というのが、パパとママのなれそめ」
ベッドで一緒に寝転んでいる我が子。美代は最初こそ目をキラキラさせていたが、話が進むにつれて真顔になっていった。
「なんでそこから結婚に至ったのかわからない……」
「まあ、成り行きだから、世の中のことは大体そうよ」
「とりあえず、パパのツボがおかしいことわかった。恋って盲目なんだね」
「難しい言葉知ってるわね……」
美代に布団をかけなおし、ポンポンと優しくあやす。
「さ、そろそろ寝よう?パパは遅くなるみたいだから」
「今パパの顔を普通に見れる自信がない」
「ははは、明日になったら大丈夫よ」
「うん……おやすみ」
そういうと、美代はゆっくりと瞼を閉ざす。そしてその数分後、安らかな寝息が私の耳に届く。
美代には話していないことは、まだある。あの夜、できた子が、あなたなのよ、って。
その話はまた、20年後くらいに酒を飲みながら交わそう。今度は隣に、お互い男を伴って。

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