アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
私には嫌いなものがたくさんある。狭い道で三列に歩く集団、スマホをいじっててエスカレーターでモタモタする女、急に眼前にくる羽虫、風呂場のタイルに染み込んで取れないカビ、チャージないのに改札通ろうとする男。数え始めたらきりがないそれらは、私の日常に常日頃から潜んでいて、ふとした時に軽い絶望をもたらす。
そして今日、嫌いなものリストに新たなものが加わった。
「お願い、今美和フリーなんでしょ?ね?」
皐月はそう言いながら、大袈裟に手を合わせて私に懇願する。懇願、とは言いすぎかもしれないが、仮にもお願いされている立場なのに、バカにされている気分になるのはどうしてなんだろう。
思えば皐月は親がどっかの大きな会社の重役だか何かで、高校ではいつもブランド品を身に着けていたし、話す内容もブルジョワ感が満載だった。100g60円の鶏肉を使った唐揚げを「ええ、そんなお肉あるのお?」と言われた恨みを今思い出してしまい、なんとなくイライラが募る。
「いや、でも暇なわけじゃ」
「謝礼はずむから、ね、お願い」
謝礼の言葉に一瞬動きが止まったことを、皐月は見逃さない。高級ブランドのロゴがでかでかと入った小さなバッグから財布を取り出し、私に5万円を差し出す。
「少ないかな?でも、美和フリーなんだし、生活の足しにはなるよね?」
お気づきだろうか。さつきの言う私=フリーというのは、フリーターという意味である。5年務めた会社も契約を更新してもらえず、今フリーターなの、と同窓会でべらべら話したのが運の尽き。嫌な奴の目に留まってしまった。
「いや、でも」
しかし私にもプライドはあるのだ。味噌っかす程度だが。
「お願い、成功報酬も色付けるから」
ね?と小首をかしげる彼女のしぐさが可愛くて健気で……本当に困っているんだな、って思って。高校時代の友人への理由付けはこれで行こう。この時そう思った時点で、私の負けだった。
都内に手数の店舗を展開している大手の喫茶店チェーン。その隅の席に陣取ってから5時間。時々清掃に来るスタッフの視線が痛くなってきたころ、ターゲットは訪れた。しかも私の斜め前の席に。
紺地に薄いストライプが入ったスーツが、細身の体をよりスタイル良く見せている。男の名前は霧島譲、年齢は34歳。皐月の彼氏、だという。
「彼氏が、浮気しているかもしれなくて……ううん、絶対にしているの。わかっちゃったの」
ファサーという効果音がいまにも聞こえてきそうなエクステまつげに囲まれたお目目に、涙がうっすらと浮かんでいた。まつ毛エクステなんて、こちとら契約社員時代でも手が出せなかった代物だ。でも高いからしない、と言うのはなんとなく癪だから、自まつげ大事派を名乗っていた。
「へえ」
銀座の一等地、全体的に清潔感のある白色でまとめられた高級カフェで、一番安かったブレンドにミルクをぶっこんだものを一口すする。美味しいのだろうけど、コーヒーの味は酸っぱいか苦いかしかわからない私には、宝の持ち腐れ、猫に小判でしかないことぐらい自分でもわかっている。
「でね、……ねえ聞いてる?」
高いコーヒーの味を探すのに一生懸命で話を聞いていなかったことに気づかなかった。しかしそんな隙は見せない。
「うん。で?」
確認はせず、続きだけ促す。こういう女は、自分がしゃべりたいだけだから、これだけで十分、なはず。
「うん。でね、浮気している証拠を見つけてほしいの。美和に」
「……は?」
素っ頓狂な声が出た。思わず。しかし皐月はそんなこと気にも留めない。
「お願い。いつも彼が行くカフェで、見張ってもらって、写真撮ってもらえれば良いの」
なんだか「そんなに大したことはないの☆」みたいなノリで宣っているが、それは結構な面倒くさいものなのでは?と、疑いに満ちた視線で皐月に問いかける。
「自分でやりたいのはやまやまなんだけど、ちょっとママの用事に付き合うのが大変で……お教室も休めないし」
はい出た棚上げ~と、もう少し仲の良い友達だったら突っ込んでいたところだ。生まれてこの方働いたことはなく、家事手伝いを素で行くお嬢様の皐月。うらやましくなんてない、うらやましくなんて、ない、ことはない。
「ね、お願い、謝礼は弾むから!美和いまフリーなんでしょ?」