美月の口からため息が溢れた。
「高校の頃、実はよく夜に彼氏と並んでブランコに座って話してた」
抑揚のない口調で美月が言う。
「そうか、それは初耳だな」
思い出の景色が変わってしまうのは寂しいが、変わらずあり続ける景色を見るのも、また寂しいものだと感じる。
私はそこに妻の幻影を見ていた。目を細め、美月の背中を優しく押す姿を。
「ねぇ!」
「分かったよ。そろそろ行くさ」
いよいよ語気の強さが増す美月に気後れした。
「違うよ! ブランコ! 揺れてない?」
まさか暑さにやられたのは美月かと思ったが、視線の先にある一番端のブランコは確かに揺れていた。
風の悪戯か? いや、他の三つは微動だにしていない。誰もいない公園にブランコが揺れる理由は見当たらない。しかし、ブランコは幼な子が楽しむ程度の小さな弧をゆっくりと描き、確かに揺れ続けている。
「美月、きっと母さんだよ。母さんがいるんだ」
お前は本当にそこにいるのか? もし、そうなら少しくらい俺の前に姿を見せたらどうだ。ブランコを揺らせるなら俺の肩を叩くくらいできるだろ、くよくよするなって。背中を押してくれよ、前に進めって。
「父さん・・・・・・」
涙に滲む美月の声に、私はあえて後ろを振り返らなかった。
「どうした?」
「あのね、後でちゃんと言おうと思ってたんだけど」
「なんだ、まさかもう別れるのか?」
私の意地悪な口調に「違うよ!」と美月が返す。
一匹のクマゼミが飛び立ち、少しだけ静けさが訪れた。
「私ね、子どもができたの」
「お、おぅ、そうか。良かったじゃないか」
「だからさ、ちゃんと体に気を付けて、まだまだ元気でいてよね」
「当たり前じゃないか。今だって健康そのものだよ」
「それならいいんだけど」
三年後くらいか-
孫をブランコに座らせ、その背中を押す私を想像してみる。思わず口元が緩んだ。
「さぁ、帰ろう。早く準備しないと間に合わんぞ」
「だから、さっきから言ってるじゃん」
再び目をやった四つのブランコは、その影を静かに地面に留めていた。
アスファルトに映る背丈の変わらぬ美月と私の影。もう一つ、小さな影が見えた気がしたのは暑さのせいだろうか。いや、私の足取りはいつもより軽く確かなものだ。
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