【ARUHI アワード2022 9月期優秀作品】『家族と私と押入れと』幹戸良太

陽子はしゃがむと、下段にある段ボールを取り出して整理し始めた。美穂が通話しながらチラチラと様子を伺ってくるのを背中で感じる。段ボールの中身を綺麗に入れ替え、コンパクトに仕舞い終えると下段奥に重ねて押し込んだ。すると1人分の寝られるスペースができた。陽子はその空いたスペースに使っていない三つ折りの布団マットレスを敷き、その上にタオルケットを広げた。そこにはドラえもんよろしく小さな寝床が完成した。陽子は早速下段に入り、押入れの戸を閉めてその場に仰向けに寝転んだ。目を開けても瞑っても分からない程、真っ暗な空間。陽子はゆっくりと呼吸した。少し目が慣れると狭い四つ角が陽子をしっかりと包み込んでいた。
今まで描いた絵とは天と地の差があり、部屋と呼んでいいかも怪しいが、こじんまりとしたこの空間を秘密基地のようだと陽子は感じた。
その日から陽子の押入れ生活が始まった。学校から帰ると宿題をしたり、絵を描いたりする以外はほとんど押入れの中で過ごした。両親も美穂も陽子の押入れ生活に呆れている様子だったが何も言わなかった。電気スタンドを持ち込み、中を照らしてイラスト集を見たり、真っ暗な中スマホで映画を観たりと、やっている事は普段と変わらなかったが、誰にも邪魔されず、一人の空間でできるということが嬉しかった。
「陽子、ご飯よ〜」
目を覚ますといつもの押入れの中。真っ暗な中、仰向けに寝転ぶ陽子は上段と下段を仕切る壁天井を見つめた。天井には最近百円ショップで買ってきた星型の蓄光シールが貼り巡らされていた。
「陽子、ご飯!冷めちゃうから早く来なさい!」
陽子は低い天井いっぱいに輝く星を眺めた。母の呼ぶ声が遠のいていく。この狭い空間の中に突然、広大な宇宙が広がり、陽子は解放感に満たされた。
と、いきなり押入れの戸が勢いよく開き、外の光が差し込んできた。そこには目を尖らせて体を震わす母が仁王立ちで立っていた。
「あんた、何回呼べば気が済むの!ご飯だって言ってるでしょ!!」
母は足音を立てながら部屋を出て行った。宇宙にきらめく星は輝きを失い、現実に戻された陽子は大義そうに押入れから出た。
ダイニングテーブルに向かうと父、母、美穂の3人は既に夕食を口に運んでいた。陽子を見た父は「お母さんが呼んだら一回で来なさい」と小さく言った。とても注意しているようには聞こえないトーンであった。父は昔から怒ったり叱ったりするのが苦手なのかいつも声が柔らかい。その役回りはいつも母だった。席に着くなり母が口を開いた。
「陽子、いつまで子供みたいなことしてるの? そろそろ進路の事ちゃんと考えなさい。三者面談って来週じゃないの?」
「うん、分かってる。私も自分なりにちゃんと考えてるから」
「どこの大学に進学したいとか、将来何やりたいとか決まってるのならお父さんとお母さんに話してちょうだい」
陽子は言葉に詰まってしまった。隣の美穂はおかずを頬張りながらテレビを見ていた。結局、陽子は答えることができず、半分以上もご飯を残してリビングを後にした。
部屋に戻ると押入れに入り、蓄光シールの星空を眺めながら、「私は何になって、将来何がしたいのだろう」と自問した。心の奥ではずっと前から絵を描く仕事に興味があった。デザイン系の大学に進学して本格的に絵を勉強し、それを仕事にしたい。そう考えてみるが両親に言った事はないし、そもそもそんな簡単になれるものじゃない、という思いが頭の中を何度もぐるぐる回った。

三者面談の日、学校に現れたのは母ではなく父だった。結局、進路の方向性は具体的に決められないまま面談は終わった。陽子の担任の先生は「あまり時間がないけど、ご両親ともよく相談して決めていきましょう」と言った。横に座る父は終始言葉少なに先生と陽子のやり取りを聞いていた。
学校から帰ると父は面談に来た時に着ていたスーツのジャケットを脱いだ格好で定位置に座って缶ビールを飲んでいた。母はまだパート先から帰っておらず、美穂もまだ帰っていなかった。靴を脱いで玄関を上がると父が座るよう手招きした。陽子は鞄を置いて父の正面の席に座った。父が缶ビールを飲み、口を開いた。

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