【ARUHI アワード2022 9月期優秀作品】『家族と私と押入れと』幹戸良太

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた9月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

「301」のプレートを確認する陽子。鍵を取り出すとピカピカに光っている。鍵穴に差し込み、回すと「カチャッ」と小さな音がした。扉を開けて中に入ると殺風景な室内が陽子を迎え入れる。スマホで時間を確認するとお昼過ぎ。引越し業者の人たちが荷物を運んで来るまで少し時間がある。陽子は鞄を置くと視界の先にある窓へと近づいた。外に広がる街並みはまだ陽子の知らない世界。空全体を雲が覆い尽くし、灰色の風景がそこには広がっていた。

1年前、高校3年生に進級した陽子の傍では高校生になったばかりの美穂が入学祝いに買ってもらったスマホを片手に寝転んで友達と電話をしていた。美穂の声量が段々大きくなっていく。陽子の鉛筆を持つ手が止まる。
「ねぇ〜!ちょっと美穂うるさい! 今勉強してるんだけど」
「勉強じゃないでしょ、絵描いてるだけじゃん」
美穂は片手でスマホの通話口を押さえ、もう片方の手で陽子の座っている机の上を指差した。陽子の手元には描きかけ絵が置いてある。
「こ、これも勉強なの。大声で話すならここ以外の場所で電話してよ」
「部屋はここしかないんだから仕方ないでしょ、お姉ちゃんの意地悪〜」ベーッと舌を出して変顔をする美穂。
「もうっ!お母さーん!」
陽子は部屋を飛び出し、夕食の支度をする母に駆け寄った。
「お母さん、美穂なんとかしてよ!」
「もうーうるさいわね、今度はなに? 今忙しいのよ」
母は野菜を切ったり、火にかけた鍋の中をかき混ぜたりと忙しなく動き回っていた。
「ねぇお母さん、私自分の部屋が欲しい。18歳にもなって自分の部屋が無いなんておかしくない? 1人になりたくてもいっつも美穂が居るし、邪魔ばっかりする」
「贅沢言うんじゃない、大体そんな部屋がどこにあるの? 我慢しなさい」
母は全く聞く耳を持たない。このやり取りを母とするのは一体何回目だろうか。

陽子がいくら自分の部屋を望んでも母の言う通りそんな部屋はどこにもない。
地方都市の小さな駅から20分程歩くと丘の上に建ち並ぶ団地が現れる。5階建の建物は全部で5棟あり、3号棟の402号室に陽子、美穂、母、父の家族四人で住んでいる。間取りは2DKで玄関を入ってすぐにダイニングキッチンがあり、外からは中の様子が丸見えである。玄関を入ってすぐ右隣にトイレ、洗面所、浴室があり、ダイニングキッチンを奥に進むと洋室が2部屋ある。向かって右側が父と母の寝室となっており、左側が陽子と美穂の部屋になっている。陽子は生まれてから今日までずっとこの家で暮らしてきた。狭く密集した室内ではどこで家族が何をしているかがすぐに分かる。陽子にとって家の中にプライバシーも何もあったものではない。

部屋に戻った陽子は机の前に腰を下ろした。美穂は相変わらず友達との通話に夢中である。声量は先ほどと変わらない。隣のダイニングでは母との交渉中に帰ってきた父がネクタイを緩めるなり、ダイニングテーブルの定位置に座り、冷蔵庫から取り出した缶ビールを飲み始めた。
陽子は机の上に置いてある描きかけだった絵を手に取った。そこに描かれているのはおしゃれな家具の並ぶインテリアの凝った洋室の絵。憧れる部屋への妄想が陽子の頭の中で膨らんでいく。
幼い頃から絵を描くことが好きだった陽子は欲しいものがあると必ずその絵を描いた。手に入らないものは何枚も描き、犬が欲しい時はひたすら犬の絵を、ある時は男性アイドルの絵を、その次はテレビで観た高価なワンピースの絵を色んな角度から何枚も描いた。ここ2年位はずっとおしゃれな部屋の絵ばかり描いている。
隣では美穂が電話する声、リビングでは父と母の会話、おまけに料理する音。陽子は大きく肩で息を吐き出した。椅子がミシミシと嫌に軋む。描きかけの絵を置くと、ふと左側に目を向ける。そこには押入れがある。陽子は椅子から立ち上がって押入れの戸を開けた。中の上段には陽子と美穂の布団が入っており、下段には小中学校時代に使っていた物が入った段ボールが数個置かれている。

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