「普段は自炊してるんですか?」
「貧乏学生なので、一応」
「偉いですね! なんだか意外だな」
「意外ですか?」
「いや、ごめんなさい。結構やんちゃしてたって、お母さんに聞いてたので」
確かに僕は、良い子ではなかった。母は離婚後すぐに就職し、遊びも贅沢もせず、ハードに働きながらも家事には抜かりがなかった。そんな、苦労の多かっただろう母を10代の僕は助けもせず、余計に困らせた。僕はしょっちゅう人に迷惑を掛け、その相手に、母はいつも僕より先に頭を下げた。
母は僕を殴る代わりに泣いた。僕にはその涙が随分重かった。だけど良い子にはなれる気がしなかった。勉強も嫌いだし、いっそ働いて一人で暮らすと言った。母はまたしても泣いて止め、「大学までは行きなさい」と引き留めた。話は平行線になり、僕は遠く離れた県外へ家出をした。母はなんと、連れ戻しに来た。僕が折れて改心して以来、母には頭が上がらない。
気付けば一升瓶の中身は半分以上も減っている。僕も強い方だけど、ヒロさんも中々の酒豪だ。そういえば僕の料理は居酒屋仕込みの、酒が進む味付けなんだ。
当たり障りのない話題が尽きた頃。頬を上気させたヒロさんが、意を決したように箸を置き、口を開いた。
「正直な所、お母さんと僕の結婚について、どう思ってる? 僕はまるっと受け入れて欲しいとも、『お父さんと呼びなさい』とも言わない。だけど家族として暮らすに当たって、思う事があったら聞かせてほしいです」。
突然の問いかけに少し戸惑い、日本酒をあおってひと息ついて、答えた。
「正直、結婚してくれて良かったと思ってます。離婚したとき、母はまだ20代でした。それから母の生活は、昼も夜も僕が中心でした。なのに僕は、母を泣かせてばかりで――母の青春を僕がまるまる費やした事を、申し訳ないと思ってきました」
それは、紛う事ない僕の本音だった。ヒロさんは真面目な顔で、まっすぐ僕の目を見ている。
「だからヒロさんのおかげで、お母さんもやっと自分の幸せを追えるんじゃないかって、勝手に思ってます」
言い終えるとヒロさんは、コップ半分の日本酒を飲み干して破顔した。
「そう思ってくれているなら嬉しいです。でもね、絵美さんを幸せにするのは僕だけじゃない。これから一緒に、お母さん孝行していきましょう」
そう言って僕のグラスに酒を注ぎ足し、僕も注ぎ返した。
出汁巻きを一口食べると、この夕食で初めて味を感じた気がして、つい「美味い」と口に出た。ずっと再現できなかった、女将さんの味とほとんど変わらない。この違いは――ヒロさんに尋ねる。
「もしかしてこの家、高い醤油使ってます?」
「高い醤油ではないけど、どうしてもこの地域の醤油が口に合わなくて。僕の九州の地元から、醤油だけ取り寄せてるんです。絵美さんも気に入ってくれてるみたい」
そういえば女将さんは、遠くから嫁いできたと言っていた。決め手は出汁じゃなく、醤油だったんだ。
いつの間にか酔い潰れ、帰宅した母にヒロさん共々叱られた。水をたっぷり飲まされて、僕もヒロさんもすごすごと寝室に向かった。
21歳にもなって、今さらヒロさんの事を「お父さん」なんて、呼ぼうとは思わない。だけど同じテーブルで、同じ醤油を美味いと言い、同じ人を幸せにしたいと思う。僕だけ名字が違っても、僕達は確かに家族なんだと、ぐるぐる回る頭で思った。そうして、取り分けておいた野菜炒めと出汁巻きを母がどんな顔で食べているか、想像しながら眠りに落ちた。
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