【ARUHI アワード2022 9月期優秀作品】『母の再婚は溶き卵』モリヤマトシナリ

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた9月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

 アルバイト先の居酒屋が、惜しまれながら閉店した。例のウイルスのせいだ。

 大学の近所で下宿を始めた当初から、2年と少し働いた小さな古い居酒屋。店は毎晩、女将さんに叱咤されたい地元民と、ホームシックな胃袋を女将さんの出汁巻きに掴まれた学生達で賑わった。スーパーでさえ7時に閉まる辺鄙な町を、夜ごと照らした赤提灯が灯ることは、もうない。

 以来、新しいアルバイトも見つからないまま2ヶ月が経った。退屈なリモート講義をワイヤレスイヤホンで聞き流しながら、狭いキッチンであの出汁巻きの再現を試みていると、ポケットの中でスマホが鳴った。先日50歳になった母からのメッセージだ。

「携帯料金の督促状が届きました。困ってるなら、帰ってきたら?」

 実家から大学へは、電車を乗り継いで3時間弱。通えなくはないけど、1限の授業に出るには5時半に起きないと、髪の毛のセットもできない。「坊主にしなさい」と言う母を必死に説得し、家賃を自分で払う約束で始めた一人暮らしだった。
 しかし今では単位取得の目処も立ち、残る授業は今やリモート。友人達と遊びに行くにも、どこもかしこも営業自粛。ウイルスの影響か近所に働き口もなく、もともと少ない貯金も底を尽きかけている。どこか物足りない、口当たりだけがふわふわの出汁巻きを量産する日々にも飽き飽きしていた。

 すぐに母に電話を掛けた。
「久し振り。お言葉に甘えて、帰ろうと思います」。

 夏休み序盤の土曜日。軽トラをレンタルして引っ越しの荷物を運んだ。積み込みは友人に手伝ってもらった。家具付きの格安アパートで2年を共にした荷物達は、昼までには行儀良く荷台に収まった。よく晴れた日だった。

 友人と別れ、高速道路で2時間弱の実家までは一人だ。荷下ろしはヒロさんが手伝ってくれる。ヒロさんは僕の父親で、会うのは今日で2回目――ヒロさん?ヒデさんだったっけ?いや、薬で捕まったあの野球選手と同じ名前のはずだから、ヒロさんだ。

 家電は備え付けだったから、一人で運べない荷物は勉強机くらい。机1台のためだけに、家で待っていてもらうのは悪いけど・・・・・・そもそもヒロさんが普段、休日をどう過ごしているのか僕は知らない。のんびり甲子園中継でも観ていてくれれば、いくらか気楽だ。ふとその光景を思い浮かべたとき、いつも僕が寝そべっていた紺色のソファーに、よく知らない中年男性の頭皮のにおいが染みついていないかと不安になり、アクセルを踏む足が力む。

 母は、僕が小学校に上がる前に離婚した。詳しくは知らないけど、父(実の)が独立起業して失敗し、経済的な理由での離婚だったらしい。母は一人っ子の僕を連れて実家に帰り、祖父母の助けも得て、働きながら僕を育てた。僕が実家を出るまでに祖父母とも亡くなり、母が一人暮らしを始めて1年半が経った頃、突然の結婚報告が届いた。
 たまげた、と言うとその通りだけど、ドラマみたく「えーー!!」って感じじゃなく、驚きと祝福と、安堵と一抹の不安と、溶き卵みたく感情が混ざって、つい笑ってしまった。母の結婚報告を受けての第一声は、「俺は彼女すらいないのに!」だった。

 午後2時過ぎに実家に着いた。僕が育った2階建てには、今は母と新しい父が二人で暮らしている。祖父母の代の持ち家とはいえ、築年数は40年とそこまで古くない。自分で言うのもなんだけど、割ときれいで立派な家だ。見慣れたシルバーの隣に、馴染みのないグリーン。2台の軽自動車が車庫に並んでいる。

 軽トラを降り、玄関ドアに手を掛け、そのまま開けるのをためらって、チャイムを鳴らした。どたどた足音がして母が出迎え、少し遅れてヒロさんが現れた。
「お帰りなさい。何、チャイムなんて鳴らして」
「いやあ、ヒロさんもいるし」
「そんな。普通に入ってくればいいじゃない」
僕の一応の心遣いを、母は一笑に付した。
「ごめんなさいね、気を遣わせて」と、ヒロさんは困ったように笑っている。

 ヒロさんは母より2つ年上で恰幅が良く、垂れ目で、耳も鼻も大きい、七福神の新メンバーみたいな見た目だ。映画やドラマの影響か、「母の再婚相手」というとなぜか意地悪な男を、僕だって想像していた――だけど今年の正月に初めて会ったとき、「さすがお母さんの人選だ」と思った事は未だ内緒である。

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