【ARUHI アワード2022 9月期優秀作品】『母の再婚は溶き卵』モリヤマトシナリ

「運転お疲れ様。とりあえず、コーヒーでも淹れようか」と、母が僕を招き入れる。招き入れる、というか、僕の実家なんだけど。七福神が一柱いるだけで、なんだかこの家が、踏み込み難い聖域に変わってしまったような気がした。口から出かけた「お邪魔します」を飲み込み、「ただいま」と玄関を上がる。少なくともこれからは、家族として一緒に暮らすんだ。堂々としていよう。

 長方形のダイニングテーブルの、かつて祖父の定位置だった椅子に僕、斜向かいにヒロさんが座った。3つのマグカップとクッキーを母が運んできた母が、僕の対面。
 先手を打たれまいと、僕から口を開いた。
「ヒロさん、ご無沙汰してます。これからよろしくお願いします」
 手ぶらではあるものの、二十歳そこそこの若造が払うべき礼儀は声色に込めた。
「そんな、ご丁寧に。こちらこそよろしくお願いします」と、ヒロさんは恐縮している。
「二人とも、そんなに堅くならなくても」と母が言い、僕とヒロさんははにかんだ。

 2階の僕の部屋に二人がかりで勉強机を運ぶと、ヒロさんはひいひい言ったので、残りの荷物は僕が一人で運んだ。1時間もかからなかった。
「役に立たなくてごめんなさい」と、ヒロさんは申し訳なさそうだ。
「いえ、助かりました」か、「運動不足じゃないですか」か。ちょうどいい反応がわからず、愛想笑いだけを返した。夜にはレンタカーを返却しないといけないので、その日は下宿に戻って、寂しくなった部屋で寝た。

 翌日、日曜日。午前中に大家さん直々の退去点検を済ませ、鍵を返して、電車を乗り継いで実家に帰った。母は仕事に出ていて、休みのヒロさんは一人でテレビを観ている。僕は自室で、きのう運び入れた段ボールの荷解きに取り掛かった。ラジオでも聴こうとワイヤレスイヤホンの電源を入れ、思い直してすぐに切った。今、ヒロさんに話し掛けられたら。気付かずに無視してしまっちゃ悪い。

 必要以上に他人行儀にならないよう、ちょうどよく打ち解けたいのは、僕もヒロさんも一緒だろう。「人が良すぎて苦労するタイプ」とは、母からこっそり聞いていた。そんな、年齢相応な人付き合いの巧みさを持ち合わせないヒロさんにとって、僕との関わり方は余計に難しいだろうな――何せヒロさんからすれば、僕は結婚相手の連れ子で、しかも二十歳を超えた、まあまあの大人だ。新婚の家に僕が加わることを、本当の所どう思っているんだろう。

 考えに耽りながら夏服をたんすに詰め、冬服をハンガーに掛け、下宿で増えたマンガを本棚に並べていたら、あっという間に夕方になった。喉が乾いて階下に降りると、ヒロさんに話し掛けられた。

「絵美さ・・・・・・お母さん、今日は仕事で遅くなるんですって。晩ご飯どうしよう、何か食べに行きますか?」

 意図せず訪れた、ヒロさんとゆっくり話す良い機会。だけど正直、気乗りはしない。近所にあるのはチェーンの牛丼屋やハンバーガーショップで、腰を据えて話せるような店には少し距離がある。僕は提案した。

「僕が作りましょうか。居酒屋でバイトしてたので、料理はそこそこ出来るんです。凝ったものは作れないけど、おつまみ系なら何なりと」
 ヒロさんは一瞬驚いた顔をして、すぐに笑顔になった。母ともども、酒好きとは聞いている。
「では、お言葉に甘えようかな。僕はお酒を買ってくるよ。何飲みますか?」

 冷蔵庫には、余り物の野菜と豚肉、種々の調味料。これだけあれば、食材の買い出しはいらないな。忘れちゃいけない、卵もある。炊飯器をセットして、人参、玉ねぎ、キャベツを切り、豚肉を加えて味噌だれで炒める。シンプルながら、食欲をそそる香りが広がった。別に卵を割って溶き、醤油と白出汁を加え、さらに軽く混ぜる。調味料を加えた後は、混ぜ過ぎちゃダメだよ。女将さんの顔がふと浮かぶ。

 料理をテーブルに並べ、お米が炊き上がった頃、ヒロさんが帰ってきた。片手の一升瓶は居酒屋でもときたま目にした、少しお高い大吟醸。「奮発しちゃいました」と照れたように笑っている。汁物までは手が回らなかったけど、男二人の食卓にはこれくらいでいい。テーブルで向かい合い、ガラスのコップに日本酒を注ぎ合う。ヒロさんが自らよそった、茶碗のご飯は大盛りだ。
「よく食べるんですね」
「普段は食べ過ぎると、絵美さんに怒られちゃうので。内緒ですよ」と笑った。

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