【ARUHI アワード2022 8月期優秀作品】『花のメッセージ』住吉花火

「……ただいま」
呟きが薄暗い部屋に落ちる。先ほどまでの喧騒が嘘のように思えるほど、部屋の中はしんと静まり返っていた。荷物を置いてグラスに水を注ぎ、喉の奥に流し込む。その冷たさで少し頭が冷えると、また涙が出てきた。
――――私、振られたんだ。
急に実感が湧いてきて、司は薄暗い部屋でひとり、すすり泣いた。
「えっ」
突然聞こえた声に、司は弾かれたように振り返る。そこには見知らぬ男が呆然と立ち尽くしていた。
(……誰?)
見覚えがある気がする。どこかで……。そう思って見つめていると、はたと気が付く。昨日花屋で会った人だ。
「どうしてここに?」
「え? 僕は花村波留っていうもので、ここの住人で……。あの、家、間違えてませんか!?」
焦った様子の彼を見るうちに合点がいった。ハルちゃんではなくハルくんだったのだ。そういえば、どちらも性別を間違えられやすそうな名前をしている。
「あー、えっと私、真淵司です」
「えっ真淵さん!? 男の人じゃなかったんですか」
「そうなんですよ。お互い勘違いしていたみたいですね」
「……!」
波留は絶句した。それが気の毒で、司は違う話題を振った。
「ハルちゃん……じゃなかった、花村さんって花屋さんなんですか?」
「いえ。花を運ぶドライバーです」
「なるほど。だから夜勤なんですね」
「毎日送ってた写真も僕が運んでる花なんですよ」
そう言うと何かを思い出したようにこちらに身を乗り出してきた。
「そういえばメッセージ、気づきました?」
「え?」
何のことだろう、と思ってスマートフォンを取り出すと、数時間前に新しい花の写真が届いていた。昨日お店で教えてもらったスズランの写真だ。このことだろうか。
そのとき波留の腕が伸びてきて、スマホの画面をスクロールして遡った。
「上から順に胡蝶蘭、レウココリネ、カスミソウ……」
波留は次々と写真の花の名を挙げていく。
「……シャクナゲ、マリーゴールド、そしてスズランです」
「……はあ、」
名前が気になっていたのは確かだが、急にどうしたのだろう。
「その頭文字をとると『これからよろしくおねがいします』になるんです!」
彼は自信満々にそう言うと、反応を窺うように笑顔でこちらを見つめた。
「いや、わかるわけないですよ」
そう答えると波留は肩を落とした。
「ていうかそもそも、私のこと男だと思った上で花の写真を送ってたんですか」
「変ですか?」
「ちょっと変ですね」
司の返答を聞くと、波留はさらにしゅんとしてしまった。さすがに少しかわいそうに思えてきた。
「……あ、そうだ」
司は床に置きっぱなしになっている鞄を拾い上げると、中身を漁った。
「あの。これ、どうぞ」
そう言って花籠を差し出すと、波留はきょとんとした顔でその花と司を交互に見た。
「スズラン……。え、僕に?」
「はい。誕生日とお聞きしたので」
そのとき、雑に扱ったせいか花が少しだけくたびれてしまっていることに司は気付いた。そもそもこれは挨拶を兼ねて用意したものだったはずだ。だというのに窓に映る自分の髪はボサボサで、メイクも涙でドロドロだ。ついでに酒臭い。最悪だ。
気が引けて腕を引っ込めかけたが、不意に手のひらごと花籠を包み込まれる。
「嬉しい! ありがとうございます」
その笑顔を見るとなんだかほっとして、司もつられて微笑んだ。気付けば涙もすっかり渇いていた。
「これからよろしくお願いますね、真淵さん」
いつの間にか陽が昇り、カーテンの隙間から射し込む光が彼の優しい笑みを照らしていた。司はその眩しさに目を細めると、差し出された手をしっかりと握り返した。
「……こちらこそ!」

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