【ARUHI アワード2022 8月期優秀作品】『花のメッセージ』住吉花火

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた8月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

真淵司、二十六歳。平凡なOLの私には顔を知らない同居人がいる。
閉ざされた扉の向こうでその人は眠っている。……はずだ。
扉の前を通り過ぎ、玄関を出る前に小声で呟く。
「いってきます」
返事はない。司はそのまま家を後にした。

事の発端は二週間前。仕事を終えくたくたになってアパートに帰ったとき、司はふと違和感を覚えた。どの階にも電気が付いていない。というかこのアパート、異様に静かすぎないか……? 呆然と立ち尽くしていると、偶然通りかかった大家さんに衝撃の事実を告げられた。
「真淵さん、まだ引っ越してなかったのかい。立ち退きは明日までだろ」
「立ち退き!?」
なんでもこの辺り一帯が再開発の対象になったらしく、それに伴った区画整理の為に立ち退かなければならなくなったのだという。以前からその知らせは来ていたらしいが、ここのところ仕事に追われて郵便物もまともに確認していなかった。
大慌てで新しい住居を探したがそう簡単に見つかるはずもない。そんなとき偶然目に入ったのがシェアハウスのマッチングサービスの広告だ。同居人を募集する人と住みたい人を直接繋ぐサービスで、条件さえ合えば即日入居可能という謳い文句に惹かれた。
試しに登録してみるとすぐに候補は見つかった。建物も綺麗だし立地も良い。司は即座に申し込んだ。本来ならば相手と何度もやり取りをしたうえで入居を決めるのだろうが、先方の『了解しました』というメッセージだけであっさり契約が完了してしまった。こうして私たちのシェアハウスは始まったのである。

会社のデスクに着いてスマートフォンを取り出すと、通知欄の可愛いらしいお花のアイコンが目に入る。メッセージの送り主は『花村波留』。それが同居人の名前だ。司は心のなかで勝手にハルちゃんと呼んでいる。
彼女について私が知っているのはその名前だけだ。というのも、私たちは壊滅的に生活リズムが合わないのである。朝起きて夜に帰ってくる私に対し、どうやら彼女は夕方に起きて早朝に帰ってきているようなのだ。そんなわけでこの二週間ものの見事に顔を合わせず、いまだに挨拶すらできていないのだった。
(あ、今日もきてる)
送られてきていたのは一枚の写真だった。なぜかハルちゃんは毎朝花の写真を送ってくる。それも、毎日違う花を。当初はその意図をはかりかねていたが、いつからかそれを見るのがささやかな楽しみになっていた。
「おはよう」
聞き覚えのあるその声に心臓が跳ねる。司は弾かれたように顔を上げた。
「田中さん! おはようございます」
田中は爽やかな笑顔を浮かべながらこちらへ歩いてきた。
「にこにこしてたけど何かいいことでもあった?」
「えっと、一緒に住んでる子のメッセージを読んでただけです」
「えっ、彼氏いたの?」
「違います、女の子です。ただのシェアハウスです」
そう答えると田中は「なーんだ。ちょっと焦った」と笑った。
(焦ったって……?)
司は落ち着かない気持ちで田中を見つめた。
田中は入社当初からずっとお世話になっている先輩だ。優しく頼りになる彼のことを好きになるのにそう時間はかからなかった。彼といると言葉や行動ひとつに一喜一憂してしまう。今だってそうだ。
「あのさ。今晩予定ある?」
「え?」
「仕事終わりにサシで飲まない? 話があるんだけど」
「わ……かりました」
平静を装いながらも、心臓は早鐘のように打ち付けていた。
「田中さん。今少しいいですか?」
「あ、遠藤さん。すぐ行きます。……じゃ、また後でね」
女性社員に呼ばれて田中はその場を後にする。一人残された司は赤い頬を両手で包んで俯いた。
(うそ……どうしよう)
話って何? そんな考えが頭を支配して、その日は一日中頭がふわふわしていた。結局仕事が手につかぬまま定時を迎えてしまい、少し遅れるという田中の言葉で司は先に会社を出た。何をして待とう。そんなことを考えながら近くを歩いていると、ふと花屋が目に留まる。店先に並んだ色とりどりの花に吸い寄せられるように、司は店内に足を踏み入れた。

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