【ARUHI アワード2022 8月期優秀作品】『鶴岡さん』宮沢 早紀

 りんごをくれた後も管理人さんは時々、お菓子やら缶ビールやらをおすそわけしてくれた。
管理人さんから何かをもらうたび、それをきっかけに沢山話しかけられるようになったらどうしようと俺は警戒したが、俺の心配に反して管理人さんは「おはようございます」、「いってらっしゃい」、「おかえりなさい」と管理人としてごく当たり前の挨拶はしても、渡したものの感想を聞いてきたり、俺のことについて細かく聞いてきたりすることはなく、そのことに俺はとてもホッとしていた。
管理人さんの距離感は不思議なくらい、ちょうどいい。

就職活動が本格化した俺は東京に行き、最終だったり、まだ次があったりする面接を一週間かけて受けた後、何の手応えもないまま帰宅した。くたびれた重い足で歩いていると、部屋の前に何かあるのが見え、思わず早歩きになる。
鉛色の扉の横には、新聞がつまった大きな袋が置いてあった。就活が始まった頃に参加したセミナーで進められるままに購読を始めた新聞だった。
そのセミナーでは行きたい企業に関する情報は欠かさずチェックするようにとも言われたが、行きたい企業はおろか、行きたい業界すら定まっていない俺は購読している新聞をうまく活用できていなかった。
よく見ると袋の外側には小さな手紙が貼りつけられている。
「扉のポストに入らなくなってしまったようなので、勝手ながら袋を置かせてもらいました。忙しいみたいですが、お身体には気をつけてくださいね。管理人」
 丸みを帯びた字で丁寧に書かれたメッセージにはっとする。冷蔵庫の中身や電気の消し忘れは確認したのに、新聞のことはすっかり忘れていた。俺が留守にしている間、朝刊と夕刊がせっせと届けられ、申し訳程度に扉に付けられたポストでは受けきれなくなっていたのだろう。
しばらく家を空ける時は管理人さんに連絡を入れる決まりがあったかもしれない、と不動産屋で部屋を決めた際に受けた説明を断片的に思い出すと同時に、先週末に受けたウェブテストで「社会や組織の決まりは守るべきだ」という質問に「非常にそう思う」と答えたのを思い出し、自分のちぐはぐさに苦笑いした。
管理人さんに一言詫びようにも今日はもうとっくに帰っているだろうし、明日と明後日は土日だからマンションには来ない。月曜日は、俺は早朝からまた東京に出てしまう。
 考えた末に俺は管理人室のポストへ手紙を投函することにした。便箋なんて気の利いたものはないから、計算用紙にしていたレポート用紙を引っ張り出す。
「新聞の件、すみませんでした。就活でまたしばらく離れます。申し訳ないですが、新聞はまた袋に入れておいてください。 304号室 金井」

 週が明けた月曜日、俺はまた面接を受けに行き、翌日と翌々日には滑り止めとして受けていた会社の面接も受けたが、結果は全てボロボロだった。
やりたいことがないなりに考え、これならやってもいいかも、となんとなく思えることを「やりたいこと」に設定して面接にのぞんだが、詳しく聞かれるとボロが出てしまった。ボロを出さずに演じきれる人はすごいし、やりたいことが明確な人はもっとすごいし、そういう人には俺なんて遠く及ばない。だから内定ももらえないのだと暗い気持ちで東京を後にした。
「人と話すのは好きな方だ」
「そう思う」
「何事も前向きに考える方だ」
「非常にそう思う」
「他人と競争するとやる気が上がる」
「ややそう思う」
最寄駅から家までの道を歩きながら、面接の前に受けたウェブテストを思い出す。答えていくうちに、俺ではない誰かができあがっていくようだった。
 内定をもらうために必死になって飾り立てる自分も嫌だったが、型にはまった人材は求めていません、とうたいながら一人一人に型を押し当てるようなテストを受けさせてくる会社ばかりなことにもうんざりだった。
部屋の前まで来ると、この間と同じように新聞が入った袋が置いてあった。袋の外側の手紙も。
「お手紙、ご丁寧にありがとうございます。大変でしょうけれど、たまには息抜きもしながら、ファイト、ファイト! 管理人」
 メッセージの横には細長いくちばしのへんてこなキャラクターが描かれており、思わず笑った。

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