皆、一様に口を揃えて言う。「注文の電話が入りましたよ」と。携帯で応対したという大工さんが見せてくれた番号は、ここのもので間違いなかった。
不思議な現象も恐ろしいが、何よりばあちゃんがこのまま逝ってしまったら誰に請求が回ってくるのか考えると恐怖はさらに増した。せめて支払いが終わるまでは・・・・・・僕の気持ちを知ってか知らずか、トラは大工が作ったキャットタワーの最上部で優雅に眠っている。
面会に行くとばあちゃんは病室で眠っていた。もちろん夜な夜な帰宅して電話できる状態などではない。
怨念-
巡査が口にしかけた言葉が頭をよぎる。数年ぶりにやって来た孫が、大切な家をリノベーションして民宿にしようと企むことへの復讐だろうか。強すぎる怨念を抱く魂は肉体から離脱すると聞いたことがあるような、ないような。
ばあちゃんはこの家を愛していた。
数年前、台風の直撃でばあちゃんの家は孤立し、物資もライフラインも数日に渡って途切れた。遠くない将来を心配した親父が、家を手放し老人ホームへ引っ越すよう促したが、ばあちゃんは「私はここで死ぬんだ」と語気を強めた。
しかし、ばあちゃんの望みは叶いそうにない。バリアばかりの古い家の中で転倒し、足を骨折して入院したのは良いが臥床状態が続いたのが体に悪影響を及ぼした。使わないと悪くなるのは人も物も同じだ。
怨念とはかけ離れたばあちゃんの寝顔を眺めていると、ベッドに注ぐ光の量が増した。
「あぁ、いらしてたんですね」
カーテンから覗く医師の表情が曇ったように見えた。
「おばあさん、最近は状態が著しく回復してましてですね。こりゃあ、ひょっとすると退院なんてこともなきにしもあらずですよ」
申し訳なさそうにモゴモゴと告げる言葉は本来なら朗報だが、予後を見誤った医師のプライドがそうさせているようだ。
ばあちゃんの家は目まぐるしく変化していく。庭の雑草は見事に刈り取られ、代わって緑鮮やかな芝生が張られた。
「明日はバーベキュースペースを作りますから」
「小さな子ども用にブランコなんかあると嬉しいんですが」なんて、僕も乗り気だ。
「了解、やりましょう」
トラはゴロゴロと背中を芝生に擦り付けご満悦のようだ。
かくして古民家は都会の喧騒から離れて気分を安らげるのに相応しい空間となった。どういう訳か受動的ではあるが、僕の計画は順調に進んでいる。
ジリリリリリリン
「もしもし」
-こちら山添総合病院三階病棟の看護師ですが、小杉文代さんの退院許可が出ました。
「マジか・・・・・・」
変わり果てた我が家に帰ったばあちゃんは、一体どんな反応をするだろうか。しかも、その請求全てはばあちゃんに回る。いざという時は、ばあちゃんの遺産と保険で賄えると踏んでいた愚かな孫を、あの勝ち気だったばあちゃんが許してくれるはずがない。
「あらぁ、素敵やないの」
三和土から家の中の様子を眺めるばあちゃんの瞳には意外にも星が瞬いた。
「ばあちゃんが住みやすいようにね。ほら、バリアフリーってやつ。ははっ」
苦し紛れの言葉を絞り出すが、ばあちゃんから感謝の言葉はない。まるで自らオーダーした出来栄えを確認するかのように、各所を見て回る。キッチンでは動線やカウンターの高さを確認して「完璧ね」と呟いた。
「私、ここを民宿にするからね。あんた、働くでしょ? どうせ仕事無いんでしょ?」
あたかも、いま閃いたような台詞だったが、なんとなく以前から決まっていたんじゃないかとも思えた。
「う、うん」
「私が料理でお客様をもてなすから、あんたは広報活動と接客を。ねっ」
本当に死の淵を彷徨っていた人かと疑ってしまうほど、ばあちゃんは活力に漲っている。
「あんたはここの看板猫ね」
ばあちゃんがトラを抱き上げて頬ずりをした。
「いろいろとありがと。ご苦労様」
ばあちゃんはそう囁き、ニヤリと笑った気がした。
ミャァオゥゥゥ
ん? いつの間にかトラの首輪が赤に変わっているじゃないか。
「よし。じゃ、本格的に準備しましょう。秋にはオープンよ、楽しみね!」
「おっ、おー!」
僕は思わず右手を高く突き上げた。調理師をしていたばあちゃんの作る料理は最高の味だ。『ばあちゃんの作るヘルシー田舎料理』なんて謳い文句も悪くない。
ん? 今、ばあちゃんの胸元に三日月のチャームが揺れたように見えたのは気のせいだろうか。
『ARUHI アワード2022』7月期の優秀作品一覧は こちら ※ページが切り替わらない場合はオリジナルサイトで再度お試しください