「もしもし」
-こちらグーグーリフォームですが。返事が遅くなりました。外装工事の見積もりの件、いつにしましょうか?
これはまた新手の手法じゃないか。まるで、こちらから依頼したかのような語り口である。
「でっ?」
-ん? もしもーし。小杉文代さんのお宅ですよね。連絡をいただいた件ですが。
「でっっ?」
-ふざけるのもいい加減にしてもらえますかぁ。
「いやいや、そんな無茶な話あります? いきなり電話してきて外装工事なんて」
-そんなこと言われましても。ちゃんと着信番号を見て電話してるんですから。
「とにかく、僕は電話してません。ではっ!」
黒電話の良いところはこれ。ガシャャーンと切るのが爽快だったりする。
満足感を噛みしめていると、玄関から「こんちはぁー」としゃがれた声が届いた。
「はぁーい」
今度は訪問販売か? 僕は臨戦態勢を整えつつ小走りで向かった。
「交番の者です。いやぁ、この坂道を自転車はキツいですなぁ」
下っ腹をぼてっとベルトに乗せ、サウナから出てきたばかりのような大粒の汗を流す巡査に、僕は仕方なく水風呂代わりの氷水を差し出した。ここで倒れられては困る。
「いやぁぁ、生き返ったぁ」
縁側に腰掛け喉を鳴らして一気に飲み干す姿は、まるでビールのCMを見ているようだった。隣に腰を下ろす僕の鼻腔に蒸れた匂いが突き刺さる。少し距離を空けた。
「何か御用です?」
口から吐き出した息と同時に言葉を発した。
「おばあちゃんから電話があったのよ。最近は年寄りを狙った詐欺が多いから時々巡回してくれって」
「ばあちゃん、入院してるんですけど」
「あらぁ、そう? けど着信はここの番号だったみたいよ。名前は小杉文代さんって」
さっきも聞いたような話だ。二度も続くとさすがに背筋が冷える。
良からぬ疑いを持たれては困るので僕は事情を説明した。
ばあちゃんの愛猫トラが巡査の足首に頭を擦り付け、ミャオゥゥと甘えた声を出す。巡査がトラの頭を撫でた。
「おーっ、よしよし」
仰臥位になり、なすがままのトラが再びミャァオゥと鳴く。
「おやまぁ、オシャレな首輪してぇ」
巡査がトラの青い首輪にぶら下がる三日月のチャームに触れた。
「こんな田舎で民宿やるなんてねぇ。ぜひ、地域活性化のため頑張ってくださいな」
「ありがとうございます。でも、まだ計画段階の話です。ばあちゃんはまだ生きてますから」
「いやぁ、それにしても不思議な話ですなぁ。自宅に帰りたいおばあさんのおん・・・・・・いや、孫を心配する思いによるものですかね」
今、間違いなく「怨念」て言いかけたよな-
「では!」
不吉な余韻を残して去り行く巡査の後ろ姿を見送った。道の両脇からせり出す木々が緑のトンネルを作り、自転車に乗る巡査はスッと吸い込まれて消えてしまうんじゃないか、なんてことを思った。
藍色の空には白い三日月が貼り付いていた。
山は夜の訪れが早い。何やらよく分からない生物の鳴き声が響き、得体の知れぬ昆虫が飛び交っている。それ以外に音を発するものはない。ただひたすら漆黒の闇に静寂が広がる。
怖い。怖くてたまらないから、陽気に森のクマさんなんかを口ずさんでみた。が、誰かに輪唱されそうな気がしてやめた。
三局しか入らないテレビのチャンネルを行き来しながら、茶の間で籐の座椅子に腰掛けているが落ち着かない。
どこからか迷い込んだ昆虫が、居間の電球になんども体当たりしている。カチカチと耳障りな音が続くと、十畳ほどの茶の間を照らす電球が、チカチカと点滅し始めた。思わず「うわぁぉっ」と発した情けない声に、部屋の片隅に眠るトラが気だるそうに顔を上げる。今の僕には電球の寿命すら怪奇現象だ。
こんな時は寝るに限る。大きなあくびをし、布団の隣で丸くなるトラの背をそっと撫でてその温もりを感じた。
昨晩の恐怖が嘘のように、爽やかな朝の陽射しが東側の掃き出し窓から注ぎ込んでいた。縁側に出て大きく伸びをする。すると、白い軽トラが山道をぐねぐねとこちらへ走って来るのが見えた。
「まいどー!」
街の電気屋は照明器具の交換に来たと言うではないか。
「頼んでませんが」
「昨晩、電話もらったよ。とにかく交換しとくね」
またか-
「いや、でも支払いが」
「おばあちゃん、いつも後払いだから大丈夫よ」
「けど、ばあちゃんは」
僕の言葉を耳に入れず、電気屋の親父は手際良く照明器具を交換した。
「これで良し。LEDだから明るいし長持ちするよ。ほれ、洒落てるけど古民家にマッチしてるわ」
電気屋はその風貌に似合わず親指を立てると、颯爽と去って行った。
「どうゆうこと・・・・・・」
その日から黒電話が鳴る回数は減った。悪徳業者の期待する高齢者がいないことが周知され始めたのだろう。しかし、それに反して押し売りのように次々と業者が訪ねて来るようになった。
服に細かなキラキラを付着させる繊維壁は、落ち着いた色調のクロスに変わり、和式トイレは洋式に取り替えられた。キッチンは客をもてなすのに申し分ないシステムキッチンへと生まれ変わり、再びやって来た電気屋は十四インチのテレビを撤去して、僕が寝転んでも足りないくらいの横幅がある大型テレビを設置して帰っていった。