【ARUHI アワード2022 7月期優秀作品】『我が家のまどゐ』路 真菰

 蟹池は存外深くて、子供だけで近寄ることは許されない。鯉にやる食パンの耳をいっぱいに詰めたビニール袋を握って、顔を真っ赤にして怒っていた自分を思い出す。思えば、産まれたばかりの雛子が家族にチヤホヤされていて、焼き餅を妬いていた時期だった。
 一人で地団駄を踏んでいたその足元に、たまたま物差しが落ちていた。だから、悪いことだと分かっていて、その物差しで家の一番立派な柱を削るように、大きな斜めの傷をつけたのだ。
「傷つけたことすら忘れてた」
 子供の力でつけた、大きくも軽い傷だ。改めてよく見なければ気づかない。現金なもので、張本人は今日の今までそのことをすっかり忘れていたのだし。
「ばあちゃんどころか、今まで誰も気づいてないかもしれんな」
 父は呆れながら笑ったが、そうだろうか、と私は思った。
 この家の大黒柱の真横には、小さな神棚がある。たとえ祖母が気づかなくても、この家を百年近く守ってきた神様だけは、悪いことをするこの家の孫の幼さを、苦々しく、微笑ましく、きっと静かに見ていただろう。

 神棚を見上げていた私の隣に、気づくと母が立っていた。汗の浮かんだ顔で、同じように神棚を見上げ、誰に聞かせるでもなく、独り言のように呟く。
「そのうち、そのうち、とは思っとったんやけどね。いざ取り壊すとなると踏ん切りがつかんっていうか、忍びないというか」
 なんか、寂しくってね。
 母にとって、この家はほとんど生家だ。空き家となってからも、丁寧に雨戸を閉め、玄関に錠をかけておけば、家がこの場所に詰まった思い出を大切に守っていてくれた。思い出をしまった箱として、時々懐かしくなっては雨戸を開けて家に風をいれ、あんなことがあった、こんなこともあったと取り出して見ることもできたが、取り壊してしまえばそれももう叶わない。
「あのテレビはどうするの?」
 奥室から僅かに見える居間の隅を指差す。小さな洗濯機ほども厚みのある、古いダイヤル式のブラウン管テレビがこちらに横顔を向けて立っている。あまりに古いので随分前から映りも悪かったが、地デジ放送に切り替わってからは本来の役目も終えた。祖母の晩年に電源が抜かれて、そのままだ。
「もう使えんしなあ。運び出すにも重そうやから、家と一緒に壊してしまうやろうな」
 ふうん、と鼻先ではそっけない返事をしながらも、胸が疼いた。
 あのテレビで、足の悪かった祖父はいつも相撲や野球中継を食い入るように見ていた。昼時の祖母が茶漬けをかき込みながらトーク番組を見ていた後ろ姿も覚えているし、私と妹は競い合い、齧り付くようにして子供向け番組に夢中だった。両親も揃い、家族みんなで団欒を囲む時は、いつもあのテレビが灯いていたのを思い出す。
 画面の下はテレビと同じくらい大きな戸棚のついた家具調になっている。そこにはいつも、輪ゴムやティッシュボックスのストック、液状のり、爪切りなど祖父母がちょいと手を伸ばして届いて欲しい日常のあれこれが雑多にしまってあった。
 急に、懐かしさが込み上げる。できるなら、その雑多なあれこれも一緒に、ずっとこのままにしておきたい。六つの私なら、今すぐ顔を真っ赤にして地団駄を踏みながらそう言うだろう。いつのまにか、言うに詮無いことだと思い至ってしまう大人になった。
「なんか勿体無いね」
 どうすることも出来ないね、と自分を宥めるつもりでそう言った。母もそうやね、と一言頷いただけだった。

 アルバムや古い衣類、布団など、雨漏りを逃れた調度品を運び出すと、いくらか家の中はがらんとした。
「最後に風入れていくか」
 父が建てつけの悪い南側の雨戸を動かすと、薄暗い部屋の奥まで照らしたようにぱっと明るく陽が入る。続いて母が北側の大きな窓ガラスを引いた。竹の葉模様の磨りガラスが消えると、その向こうに秋の実りを待つ鮮やかな緑色の稲が整然と並ぶ。田舎の夏を讃えた田んぼ風景が、延々と続いているのだ。
 びゅうっと夏の青臭い風が、南から北に向かって吹き抜けた。家中のカーテンと、穴の開いた雪見障子、神棚の榊がカラカラ、さやさやと風に吹かれて騒ぎ出す。灰色に閉じたアナログテレビの画面にも、火が灯ったように淡い新緑が薄らと照り映えている。
「ええ風や」
父はそう言った。母と私は、しばらくその風に吹かれたまま何も言わなかった。

~こんな記事も読まれています~