【ARUHI アワード2022 7月期優秀作品】『まえへ』室市雅則

 会はお開きとなり、二次会に行くメンバーがほとんどであったが、この渦の中にいるのが辛く、別れを告げた。それでも飲み足りなかったので、コンビニで缶ビールと唐揚げを帰って帰宅した。
 玄関灯なんて点いていないし、玄関を開けても真っ暗。儀式のように「ただいま」と呟いて玄関に入り、すぐ脇の部屋の明かりを点けた。
 この部屋で寝起きをしており、この部屋しか使っていないと言っても過言ではない。部屋の飾りや配置は基本的には、両親がいた頃のままの状態にしてある。その中には、自分が七五三の時に写真館で撮った写真がある。思えば、この頃の両親の年齢を超えてしまった。もう困っちゃうなとその写真を見ていると目の端で何かが動いたのが分かった。
 そちらを見やると天井の隅で小さな蜘蛛が巣を張っていた。名前は知らないが、黄白っぽくて脚が細い。たまに見る種類だ。
 これが普段であれば、その蜘蛛を外に追い払うなりしていたが、今日はせめて蜘蛛一匹だけでも近くにいてくれるのが嬉しかった。よく見るとすらりとした脚なんて美しい。
「なあ、蜘蛛君。君も一人かい?」
返事なんかない。あっても怖い。
「みんな、新しい道に行っていたよ。それで、その新しい道がすっかり今の道になっている。俺なんてずっと同じ道歩いているよ」
 蜘蛛は無言を貫き通している。
「まあ、いいや。乾杯」
 座椅子にもたれ掛かると缶ビールに口をつけて、唐揚げを頬張った。そう言えば、この手の蜘蛛は何を食べるのだろう。
「君にもお裾分けしよう」
 立ち上がって、少し背伸びをして、チキンの衣の欠片をそっと蜘蛛の巣に貼り付けた。蜘蛛はじっと動かなかった。
 シャワーを浴びて部屋に戻るとまだ蜘蛛はいた。衣も残ったままだ。これ以上、蜘蛛とやれることはないので、敷きっぱなしの布団に潜って照明を消した。蜘蛛のおかげで少しだけ気持ちが落ち着いた。

 翌朝目が覚めるといつもと同じように「く」の字で寝ていた。上半身を起こすと丁度正面に蜘蛛の巣が見えた。目を凝らすと蜘蛛もいる。
「おはよう」
この家の中で「おはよう」と口にしたのはいつ以来だろう。ちょうど隙間から風が入って来たのか蜘蛛の巣が少し揺れた。声に蜘蛛が反応をしたように思えた。
チキンの衣は張り付いたままだ。もしかしたらこの蜘蛛は空腹かもしれない。今日は休日だが予定も無いので、蜘蛛の餌でも買いに出かけようかしらと思いついた。
インターネットで検索をすると蜘蛛はハエや蚊のような害虫を食べるらしい。それを狙って巣を張るともあった。つまり、この部屋は害虫が出やすそうだと思われたことになる。心外だが、ボロいし、掃除機もまめにかけていないのでそれは間違っていなそうだ。
ペットショップであれば、金魚にあげるようなミミズとかがあるかもしれないと考え、それが併設されていると聞いたホームセンターに向かった。

広い店内は、家族連れが多く、ベッドやソファのサンプルが配置されていてまさにホーム感に溢れていた。懐かしく、憧れの風景だ。
魚の餌コーナーにパックに入った乾燥イトミミズが置いてあった。それを掴んで、レジに向かうと昨日再会をしたあの子と鉢合わせした。彼女は子供と手を繋ぎ歩き、その隣には夫と思われる男前がいる。
「あ、たっ君。昨日はお疲れ様」と彼女の方から声をかけて来た。
「あ、お、お疲れ様」
「パパ、私の同級生。昨日、久しぶりに会ったんだ」
「そうなんだ。こんにちは。お買い物ですか?」
「あ、はい。えっと」
 はっきり言ってこの三人が眩し過ぎた。でも、こちらもきちんと目的を持ってここにいることを示したかった。ぷらぷらしていて可哀想とか思われたくなかった。
「あの、か、家族の餌、じゃなくて、ご飯を買いに」
 思わず掴んでいたパックを上げた。すると三人はそれを凝視した。
「そう、ですか」
「あ、そろそろ行かないと。それじゃ、また。ほら、バイバイして」
 ポカンとしていた少女が私に手を振ったので、振り返した。三人は去っていった。

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