【ARUHI アワード2022 7月期優秀作品】『まえへ』室市雅則

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた7月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

「ただいま」
そう言って帰宅しても返事はない。
一人で暮らしているのだから当たり前だ。
今日も特に良いことはなかった。悪いことがあった訳ではないから恙なく終わったと言うべきかもしれない。だから、むしろ幸せなのかもしれない。
決まった時間に家を出て、決まった時間に帰って、きちんと給与を受け取ることができている。少し世間を見渡せば、病気だ、戦争だと多くの出来事がある。両親から譲り受けた一軒家だから家賃を払わなくて済んでいるから、ちょっとした余裕すらある。
しかし、どうも満ち足りない。それは贅沢なのかもしれない。それでも、いち個人として充足しているかというと甚だ疑問だ。このままを同じ場所で動きを止めて、年齢を重ね、一人で死んでいく。それで本当に良いのだろうかと思う。
せめて「ただいま」とあったら「おかえり」とあるくらいは望んでもバチは当たらないだろう。

初めて同窓会に誘われた。
今でも付き合いのある高校時代の同級生から連絡を受けたのだ。
彼から聞くには、これまで小さな同窓会は行われていたようだが、今年四十を迎える節目として、ひと学年、集められるだけ集めようと企画されたらしい。
決して友人の多い方ではないし、格別に楽しい思い出があるわけではないが、この二年ほど飲み会が開催されなくなって久しかったし、「同窓会」の響きに憧れがあったから出ようかなと思った。いや、正直に言うと、当時密かに好意を寄せていたあの子にまた会えるかなと浮かんだのだ。どうこうなりたいわけではなくて、今もあの子が魅力的だったら良いなと思った。
しかしながら、こういった時は何を着ていけば良いのか迷った。季節は初夏。「肥満症」と会社で受けた健康診断で告げられた身としてはキツい季節。普段であれば、Tシャツにハーフパンツだけでどこでも行けるのだが、同窓会というイベントに、その格好が正解なのか分からない。かといって、スーツで行くのも堅苦しい。何せ、会場が焼鳥屋なのだ。「おかえり」と言ってくれるような、身近な存在がいれば相談ができたはずだろう。でも、独りだ。両親は陶芸をやりたいと言って、窯が作れるよう今よりもさらに田舎へと越した。自分はここに残った。仕事の都合もあるし、この家は嫌いじゃない。

悩んだ結果、襟のある半袖シャツとチノパンのハーフパンツにした。
「いってきます」
そう言わないと気持ち悪いから呟いて家を出た。

五分程前に到着すると既に大勢が集まっていた。みんなフランクな感じの服装で選択は間違いではなく、ひと安心であった。
しかし困ったことに、十八歳から一気に四十歳へとワープした再会のため、誰が誰か分からない。胸元に名札が付けられているが、名前と顔が一致しない。面影すら滲んでいる。
何とか当時仲が良かったクラスメイトを見つけ、数人で旧交を温めた。
ふと隣のテーブルを見ると、あの子がいた。願いの通り、彼女は変わっていなくて嬉しかった。酔いも手伝って、タイミングを見計らって彼女の名前を呼んだ。
しかし、その子は振り向かなかった。周りも賑やかだったし、聞こえなかったのかなと思って何度か呼びかけると、その子の隣の友人が気付き、呼ばれていることを知らせてくれ、彼女が隣にやって来た。
「あー、ごめん。久しぶりに旧姓で呼ばれたから」
 そうか彼女は結婚をしていたのか。気付けば薬指に指輪が光っていた。ふと周りを見るとほとんどの人の薬指が光っていた。そして、家のローンの支払いの話や進学の話をしている。
 夫や妻や子供など新しい家族を得て、それぞれ楽も苦もあるだろうけれど暮らしている。家に帰れば、「おかえり」との言葉が耳に届けられる。素晴らしいなと思う。
 我が身を振り返ると特に人生設計もなく、誰かと新しい道を歩むこともなく、日々を繰り返している。しっかりと大人になっている同級生たちを見ると自分が無力に思えた。誰が気にしているわけではないのに、左手をポケットに突っ込んで過ごした。

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