異国の言葉を聞いたみたいに、奥本一成と名乗った男はきょとんとした顔で首を傾げた。無神経なその態度に、今度こそ頭にカッと血が上った。
「あなたにはわからないかもしれませんけど、俺には才能がないんです。大学でいろんな人の作品を見てきたからわかります。俺に、指導者は無理です」
無理です、なんて言葉、俺だって言いたいわけじゃない。だけど、才能がないのは事実だ。前の仕事を中途半端で投げ出してしまうほど責任感もないんだ。彼と話していると、どんどん自分の嫌なところが露わになってしまう。
「お兄ちゃん」
そのとき、俺のTシャツの裾が引っ張られた。瑛士くんが首を捻って俺を見上げている。その無邪気な笑顔に氷を当てられたみたいに頭の熱が下がっていく。
「お兄ちゃんの靴の色、白だからどうしようか?」
「靴の色?」
まさかこんな子どもにスニーカーが汚いことを指摘されたのだろうか。今度は恥ずかしさで顔が熱くなるようだったが、瑛士くんは俺が千切ってあげたスケッチブックの用紙を指さしている。そこには、一人の男が描かれていた。
黒い髪、紺のポロシャツ、ベージュのズボン。今日の俺の格好と同じだ。瑛士くんはつたないながらも真剣に俺を描いてくれていたのだ。
そして、ベージュのズボンの先には、まだ何も描かれていなかった。白い紙に白い靴は描けない。輪郭をほかの色で描くこともできるだろうが、どうやら瑛士くんは色を付けたいらしい。
「俺と同じ、赤い靴にしていい?」
瑛士くんが自分の足元を指さした。俺の視線もつられて移動する。彼の靴は、側面にアニメのキャラクターがプリントされた真っ赤な靴だった。
「お兄ちゃんも赤い靴、似合うと思うんだ」
「うん、いいよ」
先ほどまでの怒りをごまかすようにどうにか明るく返事をすると、瑛士くんは赤い色鉛筆を手に取った。地味な俺の服装に、足元だけ色鮮やかな赤。その色に、俺のくすぶった心がぶすぶすと刺激された。
まだまだ挑戦できる。
さっきの奥本さんの声が頭の中に響いた。
「まあ、すぐに決断しなくてもいいですから、少し考えてみてもらえませんか」
奥本さんはそう言って、俺の返事も待たずに瑛士くんの肩を叩いた。
「行こう」
短く声をかけられた瑛士くんは、うん、とおとなしく頷いた。そして、再び俺を見上げてにっこりと笑った。
「お兄ちゃん、この絵あげる」
瑛士くんが完成させた絵。真っ赤なスニーカーを履いた俺がそこにはいた。
「瑛士の言った通り、赤い靴、似合うかもしれませんね。何より、自分の環境を変えたい人に赤い色はぴったりですよ。あなただっていつまでも無職ってわけにはいかないでしょうから」
奥本さんはそう言い残して去っていった。
自分でも充分わかっている。このまま無職ってわけにはいかないんだ。だったら、無理だとか、才能がないとか言っている場合じゃない。
色鉛筆の赤を見て思う。やっぱりこの薄汚れたスニーカーじゃ、だめだ。これじゃあ、足元がぐらつく気がする。ちゃんと、自分の足でしっかりと歩かないと。
公園を出たその足で、ショッピングモールの靴売り場に向かった。瑛士くんが手に取った赤い色鉛筆を思い出す。
白や黒など無難な色のスニーカーはいくらでもあった。今までの自分なら確実に地味な色合いの靴を選んでいたはずだ。でも、店の中でも一際目立っているその赤いスニーカーを見つめる。色鉛筆のように、くっきりとした赤。
きっと俺は、まだ何にも挑戦したことがない。美大に入ったけど、周りの才能を目の当たりにして希望を捨ててしまった。自分の腕を信じることができなかった。
挑戦するのは怖い。だけど。
殻を破ってみよう、と思った。似合わないかもしれないけど、この赤いスニーカーを買おう。そして、新しい自分になって新しい環境で働いてみよう。
試しにそっと足を入れてみる。
鏡に映った赤いスニーカーを履いた俺は、真新しい色に染まっていた。
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