アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた7月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
朝起きると、右腕がベランダでラジオ体操をしていた。彼女は体を動かすのが大好きなのだ。
「おはようございます。今朝は遅かったですね。加奈子さん」
右腕は大きく体をそらせながら言った。
「だってあなたがいれば仕事行く必要ないし、早く起きる必要もないんやもん」
加奈子の右腕がしゃべりだしてから半年になる。加奈子は新型のウイルス性関節症に感染した。たいていの患者は、節々の痛みと数日間の微熱だけで済んだ。しかし、加奈子の場合は違った。加奈子はしだいに右腕の感覚を失っていった。医者によるとそういうこともまれにあるが、じきに治るから気にするなということだった。
右腕が線香花火のようにポロンと加奈子の体から離れた時、加奈子は全く痛みを感じなかった。かゆいかさぶたが取れたような、そんな爽快感さえあった。
加奈子ほどなくして整形外科で腕生え薬を処方された。朝、昼、晩、カプセルを二錠ずつ飲んでいる。スマホアプリで行う健康観察も一日一回欠かさず行っている。あと一年もすれば腕は元通りになるらしい。それまでは、傷病手当をもらって仕事を休み遊んで暮らすつもりだ。
加奈子は一日、一時間、右腕を散歩に連れて行く。右腕は京都の街を人差し指と中指でぴょこぴょこと歩いた。初めのほうは犬のようにハーネスをつけて散歩させた。しかし、すぐにそんな必要はないことが分かった。彼女は真面目で従順だった。逃げる心配など微塵も感じさせなかった。鴨川を走る彼女の姿は、ベージュ色の絵の具で塗られた大根が動いているように見えてキュートだった。
「加奈子さん。私、働きたいんです」
右腕が切実な声のトーンで言った。
「リクルートスーツと革靴も知り合いに頼んで特注してもらいました」
彼女の鍛え上げられた肉体には、うっすらと青い血管が走っていた。こんなに引き締まった体をしているのに、彼女はデスクワークがしたいのだと言った。彼女が働くなら絶対に肉体労働だなと思っていたので加奈子は驚いた。同時に、加奈子はいいアイデアを思い付いた。
「ねえ、私の代わりに会社に行かない?」
「え?」
「あなたが私の代わりに会社に行って働くんよ。あなたは私の一部なんやし、私はあなたなんやから問題ないはずや。戸籍上、私たちは同一の人間なんやしさ」
「悪くないですね」
かくして右腕の出勤が始まった。