そこで私は、大西さんのケヤキに出会う。
それは町外れの小高い丘上地帯の霊園に囲まれた旧い邸宅にあった。瑠璃色の瓦屋根に、白すぎるモルタル壁。そこに日本家屋が無理やり接合したかのようにくっついている。縁側に面したよく手入れの行き届いた庭に樹齢百年は優に超えていそうな実に立派なケヤキが佇んでいた。太い幹は曲がることなく、梢も理想的な扇形を描いている。
間違いない。このケヤキなら完璧な木漏れ日を上映してくれる。半年も経つと木漏れ日ライターという謎の職にもプロ意識と勘が芽生えるものなのだ。
迷わず、私は呼び鈴を押した。
出てきたのは想像通りの実に気品漂う老婦人だった。白髪は後ろで綺麗にまとめられ、口元から溢れる笑みは私を安心させた。
「とつぜん、すみません。私、こういうものなのですが」
そう言って私は例の「木漏れ日ライター 柴田ゆき」と書かれた名刺を差し出す。
この瞬間が一番緊張する。
私だってこんな名刺を差し出されたら新しい太陽信仰の広報か何かだと思ってしまう。まして独居の高齢女性からすれば、なおさら不信感を抱くに違いない。
「まあ、木漏れ日の人?そうね。確かにうちのケヤキは立派ですもの」
なんだ。拍子抜けもいいところ。なるほど、こんなところからも、うちの町に突如おとずれた木漏れ日ブームを実感する。
「ええ。本当に素敵なケヤキだなって。お庭もよくお手入れされていらっしゃって、なんというか一目惚れしてしまったんです」
「まあ、それは。亡くなった主人の祖父の代からあるんですって。保存樹林に指定されてるみたいなんだけど」
保存指定の樹林ときたか。なるほど、立派なわけだ。
「もしよかったら、こちらのケヤキ、是非とも紹介させていただけないでしょうか?」
大西さんは微笑むと快く承諾してくれた。
私は初めて「木漏れ日の予報」を行なった。
大西さんのケヤキは間違いなく、この町一番の木漏れ日を上映してくれるに違いない。
そこで私は次の晴れの日に大西さんの邸宅でこの町一番の木漏れ日が見られると大々的にサイト内で記事にした。もちろん、私だってその木漏れ日を確認していない。同じ木漏れ日ファンとして、待ちきれない気持ちを共有してみたかったのだ。記事はSNSで拡散され、木漏れ日ファンを自称する人たちから続々と期待の声が届いた。まさに木漏れ日ライター冥利に尽きる思いだ。多分。
そして、四日後。
大西さんのケヤキは小分けにされ、資材業者のトラックで遠くへ運ばれていった。
自分の頭の悪さを改めて、改めて、嘆く。
同好会の余剰エネルギーを私は舐めていたのだ。私が「この町一番の木漏れ日」が見れると大々的に告知した当日の朝、到着してみればすでに多くの人々で大西さんの庭は埋めつくされていた。これじゃあ、木漏れ日も地面も、しずる感も何もあったものじゃない。結局、彼らは木漏れ日にかこつけて、ただ酒が飲みたいだけじゃないか。しかも、最悪なことに予報は外れた。町一番の木漏れ日どころか、太陽はずっと雲隠れ。業を煮やした同好会の一人が「木漏れ日まだか!」と激昂し、その怒りは庭中に伝播しいつしか矛先はケヤキに向けられ、酔った勢いそのままに、ケヤキを蹴る。ケヤキに登る。枝に捕まる。勝手に大西さんのガレージから取り出したチェーンソウで幹を切り始める。
あ、と私が声に出すか出さないかのうちに、ケヤキは凄まじい音を立てて、後ろの霊園の方へと倒れていった。
怪我人も出た。保存指定の樹林も倒された。後ろの霊園にも被害が出た。夕方のワイドショーでも取り上げられた。その発端は私。