アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。
先輩が言っていた。このご時世、ライターとして生きる条件の一つは、実家暮らしであること、らしい。ライターとして生計を立てていくには東京の家賃は余りにも高すぎたし、冷蔵庫の上に放っている住民税の督促状の色も日増しに派手になっていく。果たしてこの人たちは私の通帳残高をちゃんと知った上でこんな額を要求しているのだろうか?いや、違う。これが払えないような人間は東京にいてはいけない、と暗に示しているのだ。これ以上、アルバイトも増やせない。
こうして私は、実家に出戻った。
短大を含め十年ほどの憧れ東京ライフは押し出される形で、あっけなく終了した。
何かあったのではないかと心配して、地元のタウン誌編集に携わっている友達が電話してきた。実家に出戻ったことは誰にも伝えていないのに。恐らくは母を通じてのことだろう。
「別に。ライターはほら、場所を選ばないから」
適当な言い訳だ。だったら東京でもいいじゃない、という当然なされるべき反論を、彼女はしなかった。優しさなのか、憐憫なのか。
電話を切り、母に「出かけてくる」とだけ伝えるとスニーカーの紐を結んで、生まれ育った町を歩き始める。この町の空とくれば、相も変わらず、汚れたエアコンフィルターのように曇っている。
「木漏れ日」のライター。
これが東京で最終的に辿り着いた私の肩書きだった。なんでもよかった。むしゃくしゃしてなった。供述じみてしまうけど、本当にそれ。
就活氷河期と重なって、私は定職に就かないまま、社会に放り出され、肩書きだけのライターとして活動を始めた。最初こそ学生時代のつてで、おしゃれな喫茶店の記事などを書かせてもらっていたこともあるが、雑誌もどんどん廃刊。知り合った編集者も転職。生き残っている雑誌に掲載されているのは大御所かタレントの文章ばかり。それに滑りこむのは至難の技。いつのまにか収入のほとんどがアルバイトによるものになっていた。
ここ最近、ライターの専門領域の細分化は止まるところを知らない。「地下アイドル」「最新家電」なんて王道も王道。「歯ブラシの毛先専門」もいれば「歯ブラシのグリップ部分専門」もいる。「あだ名がメガネか博士だった人」を専門に取材している人もいれば、「かっこいい卒塔婆専門」など、もはや何を誰に伝えたいのか分からない人々が無尽蔵に増え続けている。なお「かっこいい卒塔婆」専門は、私にライター実家必須説を説いてくれた先輩だ。どのみち、何か特異なジャンルの専門家でなければ、有象無象に埋もれて見つけてすらもらえない。そんな不安がますます彼らの肩書きを捻じ曲げていく。その趨勢の中で私の肩書きも産声をあげたのだ。
そもそも、私はライターになりたかったのではない。どちらかといえば、コラムニストとかエッセイストとか、なんとなくソイラテが卓上に絶えず載ってそうな、そんな職につきたかった。でも、私にはその才能と、ソイラテを飲んだ経験がなかった。
それで、新しく名刺を作る際に名乗りだしたのが「木漏れ日ライター」である。
木漏れ日は、好き。それは事実。
趣味でいい感じの木漏れ日を写真に収め、その場所と最も綺麗な時間帯を記した上で、レビューサイトのように星で評価していた。どうせならこれを肩書きにしよう、そう思ったのだ。もちろん、勝算など、ない。
勝算がなければ仕事はもっとない。
園芸用品会社が運営するウェブマガジンの枠すら断られた。やけっぱちになった私はひたすら、カメラをぶら下げて東京中の公園、美術館、大学の構内を彷徨し、良さげな木漏れ日を見つけは地面を撮り続けて記録し、しっかり食いっぱぐれ、今に至るのだ。
久しぶりに、生まれ育った町を歩く。
そして、致命的なことに気づいた。
自分の頭の悪さを改めて嘆く。