「きんちゃんわるいことしたの?」
歌を突然やめると幼子は聞いてきた。
突然の質問の意図が分からないまま戸惑っている私にまた幼子は言った。
「わるいことしたからかわにすてるの?」
さっきまで機嫌よく歌っていた幼子は突然不安をにじませた顔で見上げてきた。自分が責められているような気がしたんであわてて否定する。
「広い世界に返してあげるだけ」
言いながらもほんとにそうなのかと自分の言葉を疑う。しかし幼子は納得したようで再び歌い始めた。
本心で答えたつもりだったけど、どこか嘘をついたときの様な胸の痛みを少し感じた。
「広い世界に返してあげるだけ」
もう一度言ったが、幼子は歌うのに夢中で言葉は宙に溶けていった。
しばらくするといい具合に雑草が途切れている場所が見つかった。少し傾斜になっているそこを降りていく。幼子の私の手を握る力が強くなる。小さな手がしっかりと自分の手をつかんでいる事にみぞおち辺りが緊張した。
川の流れは穏やかで、近くには釣りをしている人がいる。
「ここにはなすの?」
「うん」
「あ、」
「ん?」
「みかみせんせいが、きんぎょはすててはいけませんっていってた」
幼子の表情が突然曇った。
「ほかのおさかなさんとかのえさをとっちゃうからって」
今の幼稚園はそんなことも教えるんだ。まあ外来種とか飼育放棄が問題になっているからだろう。
「金ちゃんはそんな乱暴な奴じゃないから大丈夫」
「そうなの?」
「不愛想だけど金ちゃんは控えめな奴だから」
幼子は何が面白かったのか声をあげて笑った。
コンビニ袋の口をあけて金ちゃんを見る。金ちゃんはコンビニ袋の中でもいつものように物おじせず尾びれを動かしていた。幼子も袋の中を覗きこみ言った。
「さよならだね」
のどの奥が詰まった。心の揺れが幼子に伝わるのが嫌で、少しぞんざいにコンビニ袋の中の水ごと金ちゃんを川に放した。
金ちゃんは少し止まっていたがすぐに泳ぎだし見えなくなった。
「さようなら、さようなら、さようなら」
幼子は懸命に川面に手を振っていた。
僕は最後までさようならは言えなかった。
アパートまでの帰り道、スーパーの前に出ていた露店でたこ焼きを買った。すぐそばのベンチに幼子とならんで座った。幼子は何度かたこ焼きを口まで持っていくが食べられずにいた。私は一つのたこ焼きを割ると、片割れに楊枝を刺し、フーフーと息をふきかける。幼子は何が面白いのかまた声をあげて笑った。十分に冷めたそれを幼子に差し出すと彼女はそれを口いっぱいに頬張った。
それからずいぶん時間がかかったが8個入りのたこ焼きを二人で食べおえると、幼子から歌を教えてもらいながら家路に着いた。
家に帰ると幼子は幼子らしく、すぐにうつらうつらし始めて電池が切れるように寝た。
タオルケットをかけてやり、私も隣で寝転んだ。
何かとても疲れる仕事を終えた時のような気分だった。幼子の寝息は睡眠を誘発し私の意識も少しづつまどろみ始めた。
玄関のチャイムの音で目が覚めた。慌てて出ると幼子の母親が立っていた。僕が部屋に招き入れると母親は慣れた手つきで幼子を抱きかかえ「ありがとう」と僕に言った。
「あまり見ず知らずの僕みたいな中年に預けない方が・・」
そういう僕に幼子の母親は少し驚いた顔をした。朝は分からなかったけど彼女は日本人ではないようだった。だから幼子の顔つきも妙にエキゾチックだったんだと思っていた。
「あなたはいい人だから大丈夫」
彼女は柔らかい顔でそう言った。
「見たら分かる。あなたは大丈夫な人」
誉められているのか何なのか分からなかった。
「ありがとね」