そこまで追いつくと、父は私に道を譲った。
「頂上だ」
指差された先を見る。葉影の向こうに青空が透けている。空がずっと近くに見えた。
ああ、そっか。
奇妙な気分だった。
達成感よりも、もう終わりなのかなんて、名残惜しむ気持ちがあったことに自分でも驚いた。
頂上に続く最後の道を進んでいく。今度は私が先で、父が後ろに続いている。
最後の段差を乗り越えると、視界がぐっと広がった。風が吹き抜けた。髪があおられて、どうしてだろう、肩の力が抜けるのがわかった。
そこは小さな広場になっていた。中央には石を山の形に積んでいて、台座に立つポールには国旗が掲揚されていた。風に波打っている。それがゴールフラッグに思えて、私は台座に近づいて、積まれた石のひとつにタッチした。ひんやりと冷たい感触だった。
頂上からは街を一望できた。
川と、線路と、人の暮らす家々がどこまでも続いている。道路を走る車がアリの行列のように小さく見える。
つい数時間前まで、私もこの街並みの中にいたのに、今はそれを見下ろしている。まるで違う世界に来たみたいだった。
「良い景色だろ」
と、横に並んだ父が言った。
「よく頑張ったな」
「うん」
「腹、空いたろ」
「うん」
「飯にしよう」
腰掛けるのに良い石を見つけて、父と並んで座った。
リュックから取り出したのはコンビニで買った明太子のおにぎりだ。母が亡くなってから今まで何度も食べてきた味だったけれど、それは今までで一番美味しいコンビニのおにぎりだった。
おにぎりを噛みながら、父がなんてことのないみたいに言う。
「学校、辞めてもいいんだぞ。引っ越したって構わない」
いままで避けてきたことについて、家では話せなかったことが、今はすんなりと受け入れられそうだった。それは景色が良いからかもしれないし、おにぎりが美味しいからかもしれない。
「いいよ、あそこで」
と私は答えた。
「でもな」
「学校も、そろそろ行く」
どのみち、いつかはそうしなければならないと思っていた。自分でもきっかけを待っていた気がした。
父は頷いて、おにぎりを頰張った。
それきり私たちは会話もしないで、青く晴れた空に浮かんだ雲を眺めた。五〇%の確率はやっぱりあてにならなくて、眩しいくらいの快晴が訪れている。
「お父さん」
「うん?」
「お母さんが登山が好きだった理由、分かるかも」
父は鼻から息を抜くように笑って、そうか、と言った。柔らかい声音だった。
私は踏ん切りをつけるように重たい身体を持ち上げた。
「お家、帰ろう?」
明日からは、昨日までとは違う景色が見えるだろうか。それとも、見えるものも感じるものも変わらないのだろうか。どうなるかは自分でもわからない。それでも今の気持ちをずっと大事に抱えていたいと思った。
ようやく、ぐっすりと眠れる気がしていた。
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