【ARUHIアワード12月期優秀作品】『我が家のツリー』黒藪千代

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。

 狭いながらも楽しい我が家。
私がまだ子供の頃、晩酌をする父の膝の上で聞いていた。当たり前のように私の中にあったこのメロディー。題名を知ったのは大人になってからだ。
これまで幾度も頭の中で繰り返してきた。
 頭の中で繰り返しながら、一人狭い団地の一室でかたづけをしていた。
あと、ひと月ほどで新居へ引っ越すという日の事だ。

 「一緒に家を建てようよ」
息子の結婚式を控えたある日、すでに彼女と同棲生活をしていた息子が訪ねて来て言った。
「ひゅっ?」
あまりに思いがけず、えっ?でも、はっ?でもなく、鼻から息が抜ける程度のひゅっ?という間抜けな声が出た。
アパートの家賃を払うくらいの金額で我が家が持てるのだと、不動産屋に勤めている友人に聞かされたと言う。
結婚と同時に家を持つのはいい事だと思った。子供が出来ても共働きを続けるつもりだし、ローンも払っていけるのだと。そう考えたらアパートの家賃を払うことがものすごくもったいないと感じたと言う息子の考えは堅実だと感心もした。
しかし、そこに姑が一緒に暮らすのはどうだろう。
世間で言う嫁姑問題が脳裏に浮かぶ。ましてや、我が家にはまだ嫁ぐ前の娘もいる。姑プラス小姑だ。そんな現実は、ホームドラマの中でしか見た事がない。そして、もれなくお嫁さんは苦労を強いられている。
陳腐ではあるが、そんな空想しか浮かんでこなかった。

 数年前、彼女との同棲を期に息子は家を出た。
息子が小学校三年の時に離婚し、当時幼稚園に通っていた娘と三人での生活がスタートしてから十数年が経っていた。
無我夢中だった。気づけば子供たちの成長と共に部屋は狭く感じ、毎晩リビングに布団を敷いて寝ていた私は、自分の部屋がない事に不自由だと思った事もあった。それでも、楽しい我が家であったことにウソはない。
そして、息子が家を出た事で、私の部屋を作ることもでき、娘との二人暮らしを楽しむ余裕も出て来た。

「家を建てるのはいいけど、お母さんはいいよ」
本心は、涙するくらいに喜びたい気持ちでいたのに、息子の結婚生活が壊れてしまうのではないかと考えるとその気持ちはぐっと飲み込むのが最善であると考えた。
「彼女ともちゃんと相談して決めたんだ」
今までどんな時も、お母さんがそうしたいならそれでいいよと言ってくれた息子が一歩も引かないぞという姿勢を見せて来る。
 団地での暮らしに不自由はなかった。娘と二人。女同士の遠慮のない暮らしが楽しいとも思っていた。だから私はここで十分なのだと話した。
「ずっとここに、一人でいてほしくない」
俯きながら、私の意見に逆らう事に遠慮するかのようにボソリっと言った息子の言葉がありがたかった。

 結婚式を終え、新居の設計が始まった。二世帯住宅に出来るほどのローンは組めない事が判明し、せめて食事を別にするために冷蔵庫を二台設置するキッチンにした。リビングが狭くなると息子は反対したけれど、それだけは譲らなかった。
数か月を費やした設計を終え、地鎮祭を経て家の建築が始まった。
 新築中の我が家へ足を運ぶ度、柱が増え、壁や窓が設置されていく。
団地での暮らしと違って、自分の荷物を納めるスペースが思ったよりも少ない事に不安を覚えた私は、片っ端から断捨離を始めた。
新しい暮らしを思い浮かべると、不安とワクワクが混在する不思議な気持ちになりながらの断捨離を続けた。

 そんなある日、息子から一本の電話が入った。その日も仕事から帰宅して断捨離に励み、気づくと深夜の1時を回っていた。こんな時間に何かあったのだろうかと胸がざわつき通話ボタンを押した。
「どうした?」
ざわつく胸に手を当てて言うと、ごめん寝てたよね~と、どうやら酔っているらしく、職場の先輩と飲んでいた帰りだと言った。

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