アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。
ここのところ、雨が続いている。今日も朝から雨だった。夜になると激しさを増して、秋にしては肌寒く感じる。私は足早に自宅を目指した。
お鍋の中でグツグツと煮えるすき焼きを囲みながら、話題は専ら私の彼氏の仕事について。造船業という少々、特殊な仕事への純粋な好奇心と母親特有のおせっかいが相まって、さっきから息継ぎなしでしゃべり続けている。母と彼とは時々こうやって食卓を囲むのだが、先月は仕事が忙しく、まとまった時間がとれなかったので今日は久しぶりの会合だ。帰宅してまず、目に飛び込んできたのは国産牛を惜しみなく鍋に投入する母の姿だった。私もこの日をそれなりに楽しみにしていたけど、どうやら、一番、浮足立っているのは母のようだった。何食わぬ顔ですき焼きをこしらえているけれど、いつもよりちゃんとお化粧をしている。
私が母と暮らす木造の小さなアパートは来年で築35年になる。薄汚れた壁とペンキがはがれ、変色した手すり。女が二人で住むにはかなり武骨な感じがするが、綺麗好きでセンスの良い母が100均の収納グッズや小物を活用し、室内は外装の古さを感じさせない住みやすい空間となっていた。
明日が休みなのをいいことに、早くもほろ酔いモードへと突入した私と母。そんな親子を片目に、彼はチェストの上の写真立てを見入っていた。誕生日、運動会、卒業式、数ある中から一つの写真立てを手に取った。
「その写真ね、確かこの子が中学生の時だからもう十年以上前になるかな。」
「へぇー、二人とも変わらないですねぇ。」
「11年と10カ月、だよ。」
彼と母が私の顔を見る。私はかまわず、牛肉を頬張る。
母と二人きりの生活が始まったばかりの頃に撮った写真。真っ先に思い出すのは、その日が雲一つない青空だったということ。きっと、新たな暮らしの幕開けをお天道様が祝福してくれているのだと思った。
そう、確かあの頃、今から約、12年前―――
「以上で全部、運び入れました。何かご不明な点、ございますか」
「いえ、大丈夫です。どうも、ありがとうございました。」
私も母に従って、引っ越し業者の人に頭を下げる。
「はあ、疲れたぁ、お腹すいたぁ」
「今日は何か買って食べようか」
「うん。私、後であっちのスーパーで何か買ってこようか?」
「じゃあ、お願いしよっかな。とにかく荷ほどき終わらせないと。あんた、来週から学校だし。」
「別に私は次の週からでもいいんだよー?」
「ダーメ。こういうのは最初が肝心なんだから。
「ちぇー。」
「初登校の日はすき焼きにでもしようかしら。」
「やったー!!!まあ、すき焼きもどきなんだろうけどー」
私がこの地に引っ越してきたのは中学一年生の冬休み。理由は父と母の離婚、という今のご時世、さほど珍しくもない定番の転校事情だ。年の割には大人びていると自他、共に認める私も初登校の日はさすがに緊張した。転校の時期として最もベターなのは新年度であろう。ほとんどの学校にはクラス変え制度が存在するため、まだ、クラス単位での濃いコミュニティは出来上がっていないのだ。しかし、3学期ともなると途中参加感、後から入れてもらいました感が否めない。
そんな不利な条件の元で只今、教壇の上で自己紹介中である。とりあえず、噛まずに話し終えた。笑顔過ぎず、仏頂面過ぎず、いい塩梅だったと思う。はぁー、よかった、昨日、お風呂で練習しといて。ほっと肩をなでおろし、席に着いた。一回目の休み時間。クラスの中心人物と思しき女子生徒数人と、いかにも能天気そうな男子生徒が机の周りを取り囲んだ。「どこから来たの?」「部活入るの?」「どこらへんに住んでるの?」などなど。これらの質問には予め答えを用意しておいたのでうろたえることはない。「何で引っ越してきたの?」という質問にも「家の事情で」とサラッと答えた。