「ごめんなさい。別にそれはいいと思う」
「そうでしょ」
今のはお母さんに言ったのではない。お父さんに言ったのだ。それでもお父さんは気にしているようで、新聞をとじて目線をテレビにうつした。テレビでは紅葉の中継をしている。それを見て私とお母さんの間の不穏な空気はすぐに流れていき「いつか行きたいね」なんてみんなで言い合った。
「ま、花は行かないだろうけどね」
そう言ったお母さんの横顔はなんだかさみしげだった。
「今日は六時半までには帰ってきなさい。門限はこの時間にするから」
翌朝、玄関で靴をはいていた花にお母さんがそう言うが、花は即座に「無理」と言い放つ。
「無理じゃないでしょ」
「部活あるし」
「今は五時半まででしょ」
「その後色々話すことあったりするから」
「咲(さき)は中学のとき六時には帰ってきてたけど」
「私と姉ちゃんはちがうし」
「これもルールで決めたから!」
「あ、そ。じゃあいいよ十円くらい」
花はそう言って玄関のドアを開け、乱暴に閉めていった。
「あ! こら! いってきますってちゃんと言いなさい! もう! いってきますとただいまは絶対言うこと! これもルールにするから!」
「あ、えっと、じゃ、じゃあいってきます……」
お父さんがお母さんの剣幕に引きながらソッと玄関を出て行く。
「はい! いってらっしゃいお父さん! 咲もしっかり言いなさいね!」
「はいはい。いってきまーす」
「はい、は一度でいいの!」
いってらっしゃいは言わなくてもいいんかい、と心の中でつっこみながら、私は玄関のドアを開けた。
「あ、花!」
高校からの帰り道、花が前にいたので声をかける。花は振り返って驚いたような表情をみせた。
「あれ、今日遅いじゃん。どうしたの?」
花は私と二人でいるときは表情も声もやわらかい。
「うん。部活中に後輩達がもめちゃって。部室で話聞いてたんだ」
「ふーん。えらいね。姉ちゃんは面倒見いいもんね」
妹にほめられると嬉しいけれどなんだかてれくさい。思わず「なんだろうね、あの家族ルールって」と話題を変える。みるみるうちに花の表情がくもっていった。しまったと思ったがもう遅い。
「ただの私に対する嫌がらせでしょ。まじムカつく」
どうしよう。何か好転するようなことを言わなければ。
「ほ、ほら! 花もちょっとは素直になったら? そしたらお母さんの態度もやわらかくなるんじゃないかな」
「なにそれ。私が悪いの」
「え? いや、そうじゃないけどさ。でも家族は仲がいいほうがいいじゃん」
「別に家族が全てってわけじゃないし」
花がそっぽを向いて言う。それから会話はあまり弾まなかった。
「ただいま」
私だけがそう言って二人一緒に玄関に入る。小声で「ただいまを言わないといけないっていうのもルールにするって言ってたよ」と花に教えるが、花は顔をしかめたまま何も言わなかった。
「こんな時間に帰ってきて! 花! あんたは十円ひいとくからね!」
お母さんが玄関に来て早速花にそう告げる。お母さんも「おかえり」って言わなかったから「ただいま」のほうはチャラなのかな。いや、気づいてないだけか。待てよ。確か「おかえり」を言うルールにはなってない。そうだ。朝にも思ったけど「いってらっしゃい」もなっていないんだ。これだと公平じゃないぞ。やっぱりルールが曖昧だと思うんだけどなあ。
「姉ちゃんだって六時半過ぎたじゃん」
あーだこーだ考えていた私の耳に花のそんな言葉が聞こえてくる。驚いて花を見つめる。私は事情があったことをさっき話したではないか。花が私にむかってそんな意地悪なことを言うのはめずらしい。
「あ、あのね。中学生と高校生はちがうでしょ! それにお姉ちゃんはしっかり連絡してきたから! 今日は後輩の相談のって遅くなったんでしょ?」
お母さんも花がそんなことを言ったのが意外だったようで狼狽している。
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