【ARUHIアワード11月期優秀作品】『アンディと陸と凪街と』もりまりこ

 道、ここまでしかないな。たぶん、お客さんの言ってる場所ってここのことじゃないかな。ほら、あのマンション。ね。
 不動産屋さんの人に連れられてきた時、スマホで写したマンションと同じマンションがそこにあった。
 じゃ、1010円になります。その声は、後ろの座席前のタブレットの音声と重なった。
 空は陸から送られてきたやたら大きな照明器具の入った箱と共に降りた。
 風がとぎれとぎれに漂いながら吹いている。<凪街>という名前らしく、風のあまり吹かない街らしいのだ。凪街がいいって決めたのは陸だった。
 鍵を開けて入る。手元のスマホでグーグルマップでこの街をひとり検索しながら、ふとユキチの言った白いってそれだけで余韻だよねって言葉を思い出していた。
 凪は風のふいた後の余韻なのかもしれない。星のことも同時に思いだしながら、びっくりしたのはあんなに目障りだと思っていた桜のことまでが懐かしく思っていることだった。
 
 部屋は暗かった。空は、陸のあのいいつけを守りながら彼の到着を待っていた。
 遅い! ってなんど叫んだことか。声が大きく反響した。この広い空間は誰もいなければ、すごくさびしい余白なのだと思った。ユキチの言葉がこんなにも響いてくるとは思わずに、もうユキチったら余計なことをってひとりつっこんでいた。
 もしここに陸が辿り着かなかったら、空はこの先、陸のいない余白を生きることになるのだと、しんみりしながらぼうっとしていたらすごい音立てて、タクシーが止まって、ばたばたとごめんごめんって言いながら陸が入って来た。
 余韻も何もないんだなって空が思ってたら、うわ、空俺の言ったこと守ってくれたんだねって嬉しそうにする。そんなことより、こんなに久しぶりに逢うのに挨拶もなしかい? って感じだった。
「どういうこと? はやくこの闇から解放されたいんだけど」

 ふたりで段ボールを、ばかばかっと開けた。開けてそのままビニル袋から取り出そうとしたら、陸がだめだめそれ読んでって言った。
「それって?」
「だからトリセツ」
「こんなの誰でも取り付けられるから、いいよ」って言ったが最後、陸がだめだって制する。忘れてた。陸はあの島に行ってから面倒くさいトリセツを読むのが好きな男になっていたことを。だって本屋も遠いしさ、スマホでなんか読むのちょっと好きじゃないしさ、そういう時はこういうのついつい読んじゃうんだよな。
 ただの白い紙には、部品の説明から、ざっくりとしたコードのまとめ方、電球のセットの仕方などがかいてあって、とりたててどうってことなかったのだけれど。
 薄いトリセツのどのページにも、囲んである注意書きがあった。
「そこ読んでみてよ」
陸が指さすそこには、<必ず2人でとりつけてください>って記されていた。
「ね」
 なにがね、なのかはわからなかったけれど。ちょっと笑えた。陸が嬉しそうにしているので、空もなんとなくその短い言葉に反応してしまった。
「これさ、俺が島に渡って気づいたんだよ。部屋で電気つけようと思ったらこのトリセツの言葉に出逢ってさ。そりゃ俺はひとりでつけたけど。ちょっとなんていうかやるせなくって。いつかふたりで住むときはちゃんとしようって思ったの。ま、大きなお世話だぜ、とか思いつつトリセツ好きの男としてはね。ずぼんってツボにはまってさ。空に言わなきゃって」

 ほんとうにどこのページを開いても<必ず2人でとりつけてください>って書いてあった。なかなか笑える。笑えたけど。陸がこのなにげない注意書きを読みながら、屋久島でひとり灯りをつけている姿を想像して、せつなくなった。

 ぱちんとスイッチを押すと暗かった部屋に灯りが点った。
こんなささいなことがしたかったんだと、アンディのいうところの<空っぽの間>のような南の島からもどってきた陸のことを、ほんとばかだなって思いつつも、ほんとのところとても愛おしかった。

 部屋にはまだほとんどなにもない。
 ほんとうにユキチの言うような、おおきな余白のような場所だった。
 空はふたりでこの余白を埋めてゆく日々を思って、星旺次郎がいつも言っていた笑ってろって声がどこか遠くのほうでしているような気がしていた。

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