【ARUHIアワード11月期優秀作品】『アンディと陸と凪街と』もりまりこ

「そうか、アイデアか」って思いだしたように数分前の話を陸はもちだす。
「俺聞いたことある」
「何を?」
「彼のあたまのなかにはいくつかの空間があって、なにかの考えが棲むスペースがまたいくつかに分かれていてさ、それは、まるでマンションのようだって。そんなこと聞いたことあるよ」
「彼って?」
「あぁ、だからアンディー・ウォーホル」
 陸の好きな芸術家だった。学生の頃陸の部屋に飾ってあった彼の肖像写真。銀色のまっすぐな髪の男の人の顔が空の頭にうかんだ。あの銀髪のアメリカの男の人の視線を感じながらふたりの週末を過ごしていたことを空は、ひそかに思いだしていた。
 陸とつきあい始めてあれからもう8年。
「それでね、年を重ねるにつれてその部屋はどんどんふえていってしまうものなんだって。なんとなく、その感覚はわかるんだ。俺もさ、頭の中の部屋は、形も広さも、ほんとうにでたらめなものばかりで構成されているって感じ。ね、聞いてる?」
「うん、聞いてるよ」
「よかった。寝てるのかと思った。でさ、アンディが言うには、<大きな空っぽの間を1つ>もつことだって。それが、ゆたかってことだって」
「空っぽの間?」 
「そう、<空っぽの間>。それ大事なんだって。屋久島にいるとおおきなからっぽのなかにいる感じがして、いいんだよ。そっちで時間に追われて暮らしてた時よりも」
 アンディの話は聞いていない。屋久島の悠久の話も聞いていない。ふたりの話をしようよ。そう言い出せなくて、空は、陸の声を聴いている。これからの話をしたいのに、陸にはこれからなんてないみたいに、いやこれからのことを避けているみたいに話を逸らしているように、聞こえる。
 あろうことかその日、陸はアンディと屋久杉のことをたっぷり話しておやすみを言った。

 その日、星はデスクの前でちいさく鼻歌を歌っていた。昨夜おいしいお酒を飲んだか、すきな映画を観たかどっちかかもしれない。ほんとうは映画評を書きたかったのだと星がぽつりと言ったことがあった。
 時々星のブログを見ていると、定期的にシネマ評のようなことが綴られていた。
 みんなどこかで憧れていたものを、じぶんのなかにしまいこみながら暮らしているのだと、そんな思いで星の眼鏡を掛けた横顔をみていた取材帰りのある日を思いだしたりした。
 それにひきかえ、空はそんなになりたいものが見つからないまま、大きくなってしまったことにすごく引け目を感じる。
 陸だって、たぶん今の仕事がなりたいものだったんだと思うと、空はこれでいいのかわからなくなっていた。あの桜だって、書くことが好きでたまらないのだそうだ。辛い仕事のはずなのに、桜だけはいつも幸せですべてうまくいってそうだから、空はやさしくなれない。

 いつも通りの日々が過ぎていたその日。オフィスは電話営業している声だけがいつものように響いてた。星の鼻歌のメロディを耳で追いかける。
 よく聞くと<夜空ノムコウ>みたいだった。
 歌ってるよ星、ってとなりのユキチが空に目配せする。ユキチは名前が福沢というから、ただそれだけなんだけど。ほんとうの名前は薫という。熱くもなく冷めてもいない、男性ホルモンむきだしでもなく、会社の仕事仲間として付き合うには十分な存在だった。
 だね、星いいことあったんだぁとかって言ってたら星がその鼻歌をやめて、みなさんに報告がありますって、若干緊張した趣で話し始めた。
「えっと、みなさんご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、わがタウン紙<りいじょん>は、次号を持って一時休刊の運びとなりました。よって、次号はみなさんの好きなテーマで編集をしていただきたく、できたらこれからもなにかが続くのだという余韻が感じられるような、最後の紙面づくりに・・・」
 そこまで言うと、星旺次郎はこみ上げてきたものがあったのか、すすり上げるように泣いた。そして社員への感謝の言葉でしめた。社員の誰もはぽっかりとしていた。

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