【ARUHIアワード11月期優秀作品】『最後のお引越し』室市雅則

 その寝室に入った。
 子供達が小さい頃は四人で並んで寝ていたが、彼らが家を出てからは、私と妻と犬の川の字になっていた。
 
 息子の部屋を覗いてみる。
 もう彼は一人暮らしをしており、この部屋を使用していないので、主人がおらず、どこかシンとしている。
 大人の歯に抜け変わる時、彼は歯が抜けるたびにベッドサイドに並べて楽しんでいた。この子はどんな大人になるのか不安があったが、今回の引越しの費用を工面してくれる大人になってくれて嬉しい。
 
 娘の部屋はすっかり物置になっている。
 いつ使ったか分からない木琴や、いつか使うだろうと言いつつも一度も登場したことがない高枝切りばさみなどが、ここの住人である。
 嫁に行くギリギリまで彼女はこの家にいた。前述したが、美大に行った後、彼女はひたすら絵ばかり描いていた。父親からすればどれも『上手』だと思っていたが、どうもそれで生活ができる程ではなかったらしい。それも人生か。

 これがざっと我が家である。他には一度リフォームをして足を伸ばせる浴槽にした風呂場や、ウォシュレットをつけたトイレがあるくらいだ。
 いかん、忘れていた。
 妻が望んでいた庭だ。
「庭付き一戸建て」がキーワードだったはずなのに、妻は玄関先のプランターでのガーデニングと、季節になればインゲン豆やシシトウを育てていたくらいで、実質、私が庭の主だった。夏は蚊と戦いながら胡瓜を収穫し、冬は寒さに耐えながら里芋を掘り返した。
 手間暇を考えると店で買った方が安いけれど、自分の手で育てた野菜は美味しく感じた。
 一度だけ、スイカが実ったことがあった。受粉を自分で行っても上手くいかず、三年くらいただ葉が繁るだけであった。しかし、ある時は、どうやら蜂がやって来てくれたらしく、偶然というか、自然というか、大きなスイカが一玉だけ実った。
 そうなったら大騒ぎで、家族でスイカを囲んで、妻が包丁で割ると朱色の綺麗な実をしていて、みんなでそれに齧りつくと味も格別だった。
 それ以降、スイカは二度と実らず、私も途中で植えるのをやめてしまったが、市販のスイカでもあんなに美味いものとは出会えておらず、今後も出会えないだろう。
 なお、今、庭を覗くとキュウリのうぶ毛の生えたような茎が夏を待って伸びている。私は食べることは叶いそうにない。
 
 残念ながら時間が来たようだ。
 我が家ともおさらば。そして、家族ともさようならだ。
 私は最後のマイホームともいえる棺に入ることにする。
 引っ越し先は、随分と遠そうだ。向こうでも楽しく過ごせることを願おう。
 みんな、笑顔で送ってくれよ。

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