【ARUHIアワード11月期優秀作品】『とりどりの場所』村崎えん

 なんでも大っぴらに話すことで、本当に大切なことを上手に隠していたのかもしれない。
 朝昼晩に食べたもの、昨日見た映画、面白い深夜ドラマ。くだらないことで笑い合い、一時間の休憩を共に過ごして、私は彼女の全てを理解したつもりでいた。だけど本当は何も知らなかった。
 金券ショップのバイトを辞めると聞かされたのは辞める前日で、明日からは旅に出ると、行きたい場所に行くのだと、景都は、いつもと変わらぬ様子で言った。いつも通り、駐車場の一画で昼ご飯を食べながら、空を見ながら。
 聞こえてくる電車の音に、景都は「高校時代を思い出す」と言った。
「行けなかったんだけどね」
 なんでもないことのように付け足されたその言葉の意味が、理解できなかった。理解できないことに自分でも驚くほど打ちのめされて、返事のタイミングを逸してしまった。
「……私、景都は本屋の店員だって」
 途切れた会話を、静けさを、どうにかしなくては。そんな、いつかと同じ気持ちだった。
「だから働き始めたんだよ。嫌いな場所で」
あれから何が変わっただろうか。そんなことを思った。
「ねえ一体……どこに行くの」
 絞り出すように訊くと、景都は手提げ袋から何かを取り出した。それは、飾り棚にあったはずの、セピア色をした写真集だった。
「ここに載ってる場所、全部。今度はちゃんと、私、行きたい場所に行くの」
 私は景都と、もっと早くに出会いたかった。同じこの町にいたのに、どうしてこの歳になるまで出会えなかったんだろう。
 この町を嫌いだという気持ち。それを共有して、共にこの町を出、憧れた街へと一緒に行けていたならば。
 そんな子どもっぽい妄想が、なぜだろう、ずっと昔からそう思っていたかのように、もしくはそれが事実であるかのように、体中を駆け巡っていた。
「ののちゃんは、クマムシ店長じゃないよ」
 突然、はっきりとした口調で景都は言った。
「たくさん我慢したんでしょ。だからもう大丈夫だよ。ののちゃんにはちゃんと居場所ができたじゃん。ののちゃんは、ここで自分になれるはずだよ」
 セピア色の表紙を、景都はまるで宝物を扱うかのような手つきでめくった。
 色が褪せていたのは表紙だけだった。ぼんやりと眺めた視線の先には、色とりどり、眩しいほどの景色が広がっていた。
「私はずっと我慢してた。だって、私の居場所はここじゃないの。だから探す。ののちゃんみたいに見つけるよ」
 鮮やかな青、緑、赤。景都の話すわけのわからない話。目が眩んで、薄膜の向こうで鳴るみたいに、音が遠くなった。
 
 おいていかないで。
 私も一緒に連れて行ってよ。
 言いたいのに、言えない。
 いや、言わなかったのだろうか。
 わからない。


 出版社の名が印字された大きな茶封筒の束から、はらりと何かがこぼれ落ちる。
「でもねえ、最近よく褒めてもらうのよ」
 奥さんの言葉の続きを待ちながら、落ちたものを拾い上げる。それは絵はがきだった。
「ののちゃん、一生懸命やるでしょう」
 差出人には「ケイト」とあった。
 はがきを持つ手が心臓になったみたいに、ドクドクと脈打つ。
「品出しも、お客さんからの難しいお願いも、どれも丁寧にやるからね。ここに来ると、欲しい本が必ず見つかるって、そう言ってもらえるの」
 青い空。その空が流れ込んできたかのような水面。深い緑の木々。赤い壁の小さな家々。いつか見た色とりどりの景色がそこにはあった。
「表の棚、いいなあ」
 休憩室の戸が僅かに開き、店長がちらりと顔を覗かせた。
「よくできてる」
 戸が静かに閉まる。
「あら珍しい。十一月なのに、もう雪でも降るんじゃなあい?」
 奥さんが小さく笑う。

『ののちゃん。幸せの形も、人の居場所も、色々だよ』
 
 少し右上がりの、景都のくせのある文字。
 文字の上に指を滑らせる。棚に並ぶ本を触るときのように。いつか見た店長の手元を真似るように。ここにある全てを、慈しむように。

「ARUHIアワード」11月期の優秀作品一覧はこちら
「ARUHIアワード」10月期の優秀作品一覧はこちら
「ARUHIアワード」9月期の優秀作品一覧はこちら 
※ページが切り替わらない場合はオリジナルサイトで再度お試しください

~こんな記事も読まれています~