誕生日だからといって特別なことは何もない。いつものように出勤したら、だけど書籍を運ぶトラックのおじさんから「おめでとう」と言われた。
「おめでたくないですよ。また歳をとっちゃいました」
そう答えたら、おじさんは「なーに、まだ若い若い。店長なんて八十だよ」と豪快に笑った。
休憩室に荷物を置きに行くと、今度は店長の奥さんが顔を出し、
「ののちゃん、今日お誕生日ね。おめでとう。チョコレイトのケーキ、作ったの。好きでしょののちゃん、チョコレイト。冷蔵庫にあるからお昼に食べてね」
ゆっくりと言い、一歩一歩、踏みしめるようにして休憩室を出て行く。
「すみません、ありがとうございます」
レジのお金を準備する猫背の背中に声をかけ、色の褪せたエプロンに袖を通す。「野々口」と名前だけの書かれた名札を首から提げる。名札の文字は剥げかけている。
朝の八時から夕方五時。規則正しく働いている。休憩はきっちり一時間。残業はない。
ちょうど、憧れた街で過ごしたのと同じ時間が経ったのだなと、そのことに突然気づく。途端に不思議になって、作業の手が止まってしまう。いけない、いけないと、段ボールを開けて中に入った書籍を取り出す。紙の乾いた感触が、もうすっかり手に馴染んでいる。
この町には何もない。今でもそう思う。七年で何かが変わったということもない。店長も奥さんもトラックのおじさんも、私も、そしてこの店も、七つ歳をとったということだけ。
開店までの二時間で、雑誌と書籍の開梱をし、棚に並べる。店長は売場の整理整頓と掃き掃除、奥さんはレジカウンター内の掃除と釣り銭の準備。
仕事をきちんと教えてもらったことはない。働き始めた頃、まだ今より七つ若かった店長の、その手元を見て覚えた。否定も肯定もされぬまま、正解もわからぬまま、手探りでやってきた。
気づけば店長は売場の仕事から退き、現在は私がこの店の棚を作っている。もう慣れたと言えばそれまでだが、不安がないわけではない。だけど誰も自分以外の持ち場には口を出さないから、不安の輪郭はおぼろげなままだ。
開店の三分前になると、全館の照明がパパパと点き、下着売場から聞こえていた掃除機の音が止まる。クリーニング店の店先に置かれた「CLOSE」の看板を下げに裏から女の子が出てきて、下げたらまた裏に戻る。店内放送からはJーPOPのオルゴールバージョンが眠たげに流れはじめ、機械の声が「間もなく開店です」と告げる。自動扉の電源が入れられる。そうして駅前の一日が始まる。
凹凸なく過ぎる毎日に身を委ね、私はここで七年も過ごしたのだな、本当に。開店直後の店内を見渡しながら、ぼんやりと思う。視線の着地点はいつも隣の金券ショップで、これは癖だ。変わらない癖。
そして思う。ああ違う、変わったじゃないか、と。
金券ショップからいなくなった。大人になって初めてできた友達が。私がここにいる理由が。一年前、私をおいて、彼女はこの町を出て行った。
日本人だけど「ケイト」という名は本名だ。
と言うのを私は冗談だと思っていた。疑う私に腹が立ったのか、開店三分前、保険証を手にやって来る。そこには確かに「辻下景都」とあった。景都と書いてケイト。
「ケイトって、漢字だと毛糸しか思い浮かばなかった」
そう言ったら、背中をバシバシと遠慮のない力で叩かれた。
「休憩は何時?」
そう言って、真っ直ぐ私の目を見た。
「十二時くらい」
答えると、オッケー、彼女は軽やかに言い、金券ショップへと戻っていく。
同じ時間に休憩をとるつもりなのだろうか。そんなことを考えながら、背中を見送る。そしてふいに思い出す。誰かと休憩時間を過ごすのが苦痛で、人気のない場所を探して彷徨っていた頃の自分を。