君枝はきょとんとした顔でカレンダーを見つめた。
「覚えてないかー…最近のものだもんなぁ…」
実香子はそう言いつつ、君枝に見えるようにカレンダーをめくって見せた。
「光江さんの誕生日…」
君枝は12月6日を指してつぶやいた。
「光江さんの誕生日、一ヵ月後だね。今年もお祝いだね」
遠い親戚である光江のことは実香子も知っていたので明るく返した。突如、君枝は実香子からカレンダーを奪い取るようにして見た。深い皺が何重にもなったまぶたの下で小さな瞳がきらりと輝いたように実樹には見えた。あいまいになっていた記憶が呼び起こされたのかもしれない。君枝はカレンダーをゆっくりめくりながら目についた書き込みを指さしては嬉しそうに読み上げた。
「森本さんのところ、お孫さんの誕生日だわ」
「美容院の池田先生、昔からお世話になってるのよ」
「いけない。高橋さんにお手紙出さないと…」
一年前のカレンダーではあるが、記念日は年が変わっても変わらない。実香子は久しぶりに見る君枝のいきいきとした姿に笑顔になった。
「そうだね、手紙書かないとねぇ」
と何度も頷いた。施設にいる君枝が実際に高橋に手紙を出すのは難しいと分かってはいたが、嬉しそうな実香子と君枝の姿に実樹もうんうんと頷いた。
「なぁにー?斎藤さんすっごくうれしそうじゃない。お嬢さんとお孫さんが来たから?」
きびきびと歩きながらやってきたケアマネジャーの牧野が元気に声をかけてきた。
「あ、牧野さん、母が使ってたカレンダーを見せてたんですよ」
「カレンダー?どぉれ?」
牧野は君枝の後ろから覗き込むようにしてカレンダーを見た。
「この書き込み、全部母が書いたものなんですよ」
「うわぁーすごい!すっごいね!マメだなー斎藤さん」
「家族もびっくりですよ…こんなにびっしり記録してたなんて」
牧野は目を細めて1つ1つの記念日を見ると腕組みをして感心したようにため息をついた。
「こりゃすごい…斎藤さん、これ覚えてるの?」
「それがなんだか、覚えてそうなんですよ…」
カレンダーを見るのに夢中になっている君枝に代わって実香子が答えた。
「えー!すごいすごい!」
牧野は胸の前で抱えるようにして持っていたクリップボードを揺らしながら言った。
「きっと最近のことだから、忘れちゃってるかと思ったんですけど…」
「お嬢さんが知らないだけで、実は斎藤さん、昔っからやってたのかもしれないですよ?」
牧野は一瞬意味ありげに片方の眉を上げ、にっと歯を見せて笑った。
「やってたんですかねぇ…私が忘れちゃってたのかな…?」
実香子も楽しそうに笑った。ふと実樹はアイディアを思い付き、はっと小さく息を吸い込んだ。
「牧野さん、祖母の部屋のカレンダーにこの記念日を書き込んじゃダメですか?」
実樹はダメ元で牧野に尋ねた。
「持ち込みがダメっていうのはもちろん、わかってるんで。書き込みだけ…」
慌てて付け足す。
「なるほどねー!書き込みだったら、大丈夫。良いアイディアなんじゃない?」
牧野は実樹にウィンクをしてみせた。
「ありがとうございます!」
実樹と実香子がほぼ同時に言うと、二人は顔を見合わせて笑った。君枝は依然なめるようにカレンダーの書き込みを1つ1つ確認していた。
その後、実樹と実香子は君枝が食事をとるタイミングでカレンダーを返してもらい、君枝の部屋のカレンダーに記念日を書き写していった。
「おばあちゃん、覚えてたね」
「ね、あと喜んでた」
「じっと見てたもんね」
1年分の記念日を書き写すのはなかなかに大変だったが、実樹と実香子は時間が経つのも忘れて書き込んだ。2人の知らないところで君枝は日々誰かの誕生日やその誰かの家族の結婚記念日や誕生日を祝っていた。1年365日、君枝にとっては何でもない日など存在せず、毎日が大切なある日で、カレンダーを確認してはその日の主役に思いを馳せていたのかもしれない。そして、それがあの家に独りで暮らしていた君枝にとっては生きがいだったのかもしれない、と実樹は思った。わざわざ声に出して言わなかったが、実樹も実香子もそんな君枝を誇らしく思った。施設のガラス越しに入ってくる夕日が実樹と実香子の頬を紅く染めた。
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