アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
両親は、私が1歳の頃から、2人で小さな居酒屋を経営していた。父がオープンキッチンで料理をつくり、母が接客を担当。私は物心がついた時から、毎晩遅くまで働く両親を尊敬していた。しかし、尊敬していたのはその働く姿勢であり、居酒屋経営というのはそんなに大した職業とは思えなかった。教師をはじめとした公務員や大企業の社員の方が“価値のある”仕事をしている、と何となく思っていた。
中学生になると、その居酒屋を時々手伝った。酔っ払い客は、中学生の私にも容赦なく下ネタを浴びせる。私は、見てはいけない大人の汚い部分を知ってしまったような感覚になり、大人って大して大人じゃないのだなと少しばかり幻滅した。母や父は、「未成年の娘に下ネタを言うのはやめて。」とやんわり客を叱り、そのような客には近づかなくていいように配慮してくれたが、何故こんなアホみたいな酔っ払い相手に商売をしているのか、両親の気持ちがさっぱりわからなかった。居酒屋って社会の何に貢献しているのだろう?存在意義は何だろう?全然イメージが湧かなかった。
大学に入り、バイトを始めると、働いてお金をもらうことは想像以上に大変なのだと知った。しかし、それでもまだ両親の仕事にさほど価値があるとは思えなかった。
そんな時、サークルのクセの強い男の先輩が、後輩の私達に、「両親の仕事は?」と聞いてきた。周りの子達の両親は、教師だったり、超有名大手企業の社員だったり、まさに私が“価値のある”と考えているような職業だった。先輩は、聞いたくせに興味無さそうに、「ふーん。」という冷めたリアクションだった。遂に私の番がきたが、両親の仕事を言うのがなんとなく恥ずかしくて、いつもより小声で、「居酒屋。」とだけ答えた。すると先輩が食いついた。「え?!ご両親が経営してるの?」と聞いてきた。「経営と言っても、2人だけでやってる小さい居酒屋です。」と答えた。もうこれ以上掘り下げないでと思っているのに、「何年くらいやってるの?」と質問を畳みかけてきた。
「20年以上はやってます。」と言うと、「すごい!自分で経営していくって例え規模が小さくてもすごいことだからね!20年もやってるなんて地元で愛されてるんだね!いいなぁ俺もみんなに愛される料理屋で色んなお客と人生を語らいたいなぁ、良い仕事だなぁ、きっとご両親の居酒屋が心の拠り所っていうお客もたくさんいるんだよなぁ」としみじみ言った。
そのクセの強い先輩は、学年は2つ上なだけなのだが、私の通う大学に来る前に他の大学に行っており、転入しただか何かの事情のためにかなり歳上だった。長渕剛を愛し、髪の毛も染めておらず、チャラチャラした要素は全く無かった。クセは強いが、”確かになぁ”と思わされる事をよく言っていた。そんな硬派でしっかりしている印象の先輩に、両親の仕事を褒められて素直に嬉しかった。私の両親の職業を聞いた後、何故か先輩は上機嫌で、「俺も居酒屋やりたいなぁ、20年も続く居酒屋を経営してるなんて本当にすごい事だ。」と、しばらく独り言にしては大きな声でぶつぶつ言っていた。
私はなんだか居ても立っても居られなくなって、バイト代を握りしめ、その日のうちに両親の居酒屋にご飯を食べに行った。両親の居酒屋でご飯を食べるなんて、小さい頃1度あったような曖昧な記憶があるくらいで、ちゃんと客として行ったのはその時が初めてだった。お客様用の入り口から入り、「食べに来た。」と言うと、両親は少しびっくりしていた。「娘と言えどもちゃんとお支払いしてよ、無銭飲食禁止だからね。」と、母は笑って言った。両親の居酒屋には幾度となく訪れているが、客ではない私はいつも裏口から入っていた。この日はお客様用の入り口から入ることになんだかドキドキしていたが、「今日は私も客だから」と、自分自身に言い聞かせた。