それなのに、千里を駅まで送り、家に戻ったオレに母は言った。
「あの娘はダメよ」
千里の親は、千里が幼稚園の時に離婚している。片親で育った娘なんて、親戚の手前、それが恥ずかしい事だと母は主張した。
そんな理不尽な理由が通るなんて変だと、怒りをあらわにしたオレに、母は付け加えるように、箸の持ち方が汚いとか、服装が派手だとか、到底聞き入れられないような悪口を言い募った。
「なぁ、ばあちゃん酷いよな!」
鼻息荒く、母とのやり取りを説明しているうちに、抑えていた怒りがムクムクと沸き上がり、母を罵倒する言葉が次々と口から飛び出した。
酷いのは母であって、祖母ではないのだけどと、自分の鼻息の荒さに年甲斐もなくと、少し恥ずかしさを感じた。けど、やっぱり腹が立つ!
顔を上げ、踏み台を持つ祖母を見上げると、鼻息荒く話すオレの言う事が、やっぱり聞こえていないかのように、干し柿を下ろすため今にも踏み台に乗ろうとしていた。オレは慌てて立ち上がり、祖母を制して干し柿の吊るを引っ張って下ろした。
「あぁ、干し柿の作り方だったよね」
干し柿に夢中な祖母の後ろ姿を見て気づく。我が道が基本だったと。
祖母の目的を先に叶えるためにと、ポケットからスマホを出して検索した。
1. 柿の皮をむく
2. ナイロン紐で縛って吊るす
3. 程よくやわらかくなるまで天日で干す
4. 実の周りに白い粉が吹いてきたら食べごろ
検索画面に出てきた、一番完結そうなのを選んで読み上げた。
「そら、あかんわ」
大事なとこが抜けてるでと、オレの手から干し柿を受け取ると、祖母は座布団にペタンと尻をついて座った。
だいぶ水分が抜けて、いい感じにしわくちゃになった柿を一つ、両手で包むようにして揉み始めた。ゆっくり、ゆっくり、さも大事なものをかわいがるようにして。
「こうしてな、ゆっくり時間かけて揉んでやらんと、」
なんせ、元はサルも嫌がる渋柿やったんやからな。と言いながら、手は休まずモミモミを繰り返す。
「あんたのお母さんもおんなじや、ゆっくり時間かけて揉んでやったら、いつかは甘くて美味しくなるねんけどなぁ、なんせ特上に渋いからなぁ」
祖母はモミモミする手を一瞬だけ止めて(ふん、ふん)とひとり納得したように小さく頷いた。
母の事を口にした祖母が、干し柿からやっとこちらに向いてくれた事にほっとしながら、いまいち祖母の言っていることが理解できずに、頭の中でその言葉を揉み解していた。
「耕太、ごめんやで。」
唐突に、祖母が言った。謝られるような覚えはないけど?と思いながら、手元の干し柿に視線を向けている祖母の顔を覗き込んだ。
「時間かけて揉むのは、ばあちゃんの役目なんやけどな」
祖母は顔を上げないままつぶやくように小さな声で言って、ごめんやでと、もう一度言う。
そうか、母は、この祖母の子供だった。と今更ながらに当たり前の事を思い出す。
「いや、」オレこそ、ごめんと最後まで言えない。
母に受け入れてもらえないもどかしさを、オレは理不尽にも母の母である祖母に向けていることに、改めて気づいた。
これまで何度、祖母の子供である母の悪口を言ってきたのかと考えると、それはもう顔を上げられないくらいに、申し訳ない気持ちになる。
オレにとって千里が大切な人であるように、祖母にとっての子供である母もまた、大切な人なのだと。
千里を悪く言った母の顔が、そのまま今の自分に映り込んでいる気がして、思わず息を飲んで下を向いた。
それから小一時間、オレと祖母は縁側に座って黙々と干し柿を揉んだ。
ひとつひとつ、丁寧に。
「まっ、いざとなったら、あんたが婿に行ったらええやん」
帰り際の玄関で、唐突に話を戻した祖母に、オレは何とも申し訳ない気持ちを再び胸に抱いて駅までの道を歩いた。
母の事を特上に渋い柿だと祖母は言った。確かに、いい例えだなと思いながら夜空を見上げると、東の空にあった満月が真上まで来ていた。
夜空の月を見上げるなどと、年頃の女子でもないのにいつの間にかそんな事を習慣にするようになっていた。
夜空に月が出ていると辛い事も悔しい事も、それほど大変ではないような気がしてくる。そう思えると落ち込んでいた気持ちが持ち上がり、あと少しだけ頑張ってみようと思える。
それはきっと、これまで幾度も過ごした祖母との時間を思い出す事が出来たからだと思う。
そして今夜もまた、晴天の満月がそびえる空を見上げ、いつの間にか晴れている母への怒りに、緩く頬がほころんでいる自分に気づく。
特上の渋柿をどうやって揉んだら甘くなるのか。
考えても答えは見つかりそうもないと思い至る。
だから、とりあえず帰ったら母の肩でも、いや、特上に渋い干し柿を揉んでみようかと思う。
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