【ARUHIアワード10月期優秀作品】『介護ヘルパー鞠子の苦悩と幸せ』長井景維子

義父の言語障害は一時的なもので、次の日にはもう良くなっていた。体のどこにも痺れも麻痺もなく、医師によると最初の点滴で脳梗塞の治療が出来、完治したらしい。今日の午後、退院が決まった。
鞠子は義父の退院の手続きをして、車に乗せて家に帰った。美紅が心配そうに帰って来て、おじいちゃん、と飛びついて喜んだ。鞠子は、荷物を片付け終えると、
「お義父さん、今夜はお寿司とります。お祝いです。美紅、ケーキ買って来て。」
「うん。わかった。バイクで行ってくる。」

純一もケーキを買って来た。美紅が買って来たケーキとダブったが、まあまあ嬉しい誤算で、義父の隆も気分良くなったようだ。
「お父さん、しばらくお酒を控えたほうがいいよ。」
「ああ、そうだな。怖いな、脳は。わしは脳はまだまだ若いとかいかぶってたが、やっぱり老化してるな。」
「少しずつリハビリのつもりで今まで通りにまたネットや読書もすればいいよ。」
「医者は勉強や頭を使うことはどんだけしてもいいって言ってたよ。」
「そうだろう。頭を使えば大丈夫、もう同じことは起こらないよ。」
鞠子が少し控えめな声で、
「お食事に気をつけましょうね。私がこれからは毎食作ることにしていいでしょう?」
と言った。
「キッチンをせっかく分けてもらったけど、そうしてもらおうか。鞠子さんに栄養管理してもらえば安心だ。」
「そうしてください。私も勉強しますから。」

寿司が届いた。緑茶を大きな湯飲みに四人分入れると、純一も今夜は酒を控えた。二階の大きなダイニングで、四人揃って寿司を食べた。今まで仕事で片麻痺や言語障害の残る老人を大勢見ている鞠子は、隆が本当に幸運でよかったと思った。ケーキを一切れ、皿に乗せて、仏壇に供えた。コーヒーも一杯、マグカップに入れて供えた。

ああ、良かった。私は他人様のお世話をさせて頂きたいけど、お義父さんや自分の親にはまだまだ元気でいて欲しい。お義母さん、見守っていてくださいね。
上司に電話して、「ご心配おかけしました、無事退院しまして、後遺症もなく元気です。明日、お仕事に行きます。」と、弾んだ声で伝えた。

仕事にはだんだんと慣れてきた。オムツ交換はもう、いわば事務的にこなせるようになった。時々お膳をひっくり返されたり、わざと汚されたりしてイラつくことはある。しかし、麻痺しているせいで、粗相をしたり、転びそうになって慌てて支えたり、嘔吐したり、そういうことでは滅多と慌てなくなった。心を込めた手当というより、事務的にこなしているというほうが当たっている。

耳が遠い人と話すので、声が大きくなってしまったのが、唯一の職業病だ。美紅と電話で話していて、美紅に声が大きすぎると指摘された。美紅は、
「お母さん、お仕事頑張ってる証拠だよ、気にしない気にしない。」
と、笑ってくれたが、鞠子は一人で気にしていた。

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