【ARUHIアワード10月期優秀作品】『応接間という特別な空間』近藤千明

 父との会話が終わったと同時に安心感からなのか、また涙が出てきてしまった。目が真っ赤になっていた顔を洗面所で洗い、心を落ち着かせるようにした。どうやってこの気持ちを整理すればいいのだろうと思いながらも、応接間で父と二人きりで話したことが初めてで、少し大人の仲間入りをしたような清々しい気持ちだった。これまで悩むこともなく過ごしてきたが、はじめての壁にぶつかり、逃げるようにして学校を休んだ。その休み期間中に、父とはこれまで通り、家にいても話すことは少なかったが、その日を境にこれまでの心の距離のようなものはほんの少し縮まった気がした。


 大きな心の変化とまではいかないが、そろそろ学校に行こうかな、と思えるようになった。制服に着替え、その日は前日にパン屋さんで買ってきてもらった菓子パンを食べ、ローカル電車で学校に向かう。ブルーマンデーと言われるような休み明けの憂鬱さ以上に、周りにどう思われているのかを気にしながら、長い休みを終えて登校した。久しぶりの授業は新鮮で、なんだかおもしろく感じられた。先生が主人公で生徒は先生を見ている、自意識過剰かもしれないが、休んでいたやつに注意は向かない。行くまで気づかなかったのだが、一番辛い思いをしたのは、友達とたわいもない話で盛り上がっていた休み時間や登下校だった。最初の2、3週間は、友達と距離を置くようにしてお弁当を一人で食べてお昼休みを一人で過ごしていた。仲良くしてもらっていただけに、何事もなかったかのように振舞えばいいのか、急に学校に行かなくなったことを謝ればいいのか、どのように接したらいいのか見当がつかなかったのだ。部活の顧問の先生に退部届を提出しに行き、長く休んだうえで退部するとは、なんと迷惑な生徒かと思われたと思うが、体調を気にかける言葉をかけてくださった。授業が終われば、部活に行こうとユニフォームやシューズをロッカーから取り出す同級生を背に、そそくさと駅に歩き始める。「今日の夕飯は何かな。」とか考えながら、家に一刻も早く帰りたいなと思っていた。


 学校に通えるようになってだいぶ経ってから、同級生たちから、お決まりの学校に来ないメンバーのひとりとして認識されていたことを知った。直接自分に言ってくるようなことはしなかったが、そのような情報が自分の耳に届いたときは、まあそうだろうなと思った。生徒手帳の最後のページに欠席や早退の記録が残っていたのだが、不登校という言葉の定義のようなものをメディアで紹介されていて、自分も不登校の生徒に当てはまるのだと現実を受け入れることができた。読んだ本の主人公が挫折の程度に違いはあるけれど学校に行けない状況に陥っていると、共感してつい深く読み込んでしまう。その後は時間が解決してくれたのだろうか、何がきっかけとなったのかは覚えていないが、今まで通り友人と話すようになった。また、以前はなかった交友関係が広がり、学校に行くことが楽しいと思えるようにもなった。少しのことで気持ちが折れるようなこともなくなったような気がして、「ま、いいか。」と思えるようにもなった。勉強もほどほどに、少数派であったのだが帰宅部生として気ままに過ごすことでとても気持ちが楽であり、中学卒業まで順調に通うことができた。


 働くようになってからではあるが、父が次の職を探しながら、自分の娘を気にかけてくれてどれだけ悶々と過ごしていたことがわかるようになった。仕事で接することの少なかった娘が考えていること、思っていることを少しでも汲み取ろうとしてくれた。もしかしたら、応接間での出来事が無ければ、学校に行こうという気は薄れる一方で、欠席がもっと長引いたかもしれない。接する機会が少ない父だったからこそ、学校に行けないことについて話をしてもらって、効果があったとも思う。父は退職してから、実家の庭木の草取りや竹の手入れ、雨が降れば家で読書をしており、まさに字のごとく、晴耕雨読の日々を送っている。現在の応接間は、お客さんが来ることが少なくなり、ソファは隣の部屋に移され、寂しさ漂う。応接間というよりは、ピアノが置かれ、ピアノの隣に置かれた棚には古い本や使われなくなったものが少々と、倉庫のようになっている。それでも帰省して実家の応接間を通るたびにあのときの記憶が蘇る。私にとって、応接間という特別な場所であることに変わりない。

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