【ARUHIアワード10月期優秀作品】『応接間という特別な空間』近藤千明

 入学してすぐは気が張っていたから持ちこたえることができたのに、理想の学校生活との距離が広がる一方だった。友人関係には恵まれ、お昼休みや登下校中にたわいもない話をすることを楽しみにしていた。しかし、理数系科目に対する苦手意識が顕著になり、良い成績をとることはできない。数学でつまずき、課題も解けない問題が多く、赤ペンで解答を写すことが増えた。意味が無いなと思いながらも、ほかの科目も課題をこなさいとと課題をこなすだけで精一杯の状況だった。テストが終わった後に渡される成績表の順位を見るたびに、他の子がどれだけ優秀なのか思い知らされた。おそらく自分が徹夜しても追いつかない、そんな頭を持っているのだろう。そのうえ、授業が終わった後や休日に行われるクラブ活動でも、小学生からミニバスケットボールを経験しているような、運動神経のいい子しかいない。反射神経が悪く、運動することのなかった自分だけが、ウォーミングアップの時点で疲れはじめてしまい、情けなさを感じた。休日の試合では、移動と先輩の応援だけにも関わらず、面倒だなと思ってしまう。同級生だけでなく、先輩・後輩という上下関係にも慣れることができず、居心地がいいものではなかった。入学前にはクラブ活動か運動部だと思い込んでいたが、明らかに入るクラブを間違えたと後悔していた。理想の学校生活と自分自身のレベル差に気づき始め、今思えばなんと小さな挫折かと思うのだが、そのときの自分にとっては、大きな挫折を味わった。


 学校に行かず、好きな本を読んで勝手気ままに過ごすことにしていた。ごくたまに学校に行ってみるのだが、帰りたい一心で体調不良を理由にお昼までで早退し、同級生に羨ましがられた。どこかに遊びに行くことはなく、市の図書館に通い、貸出可能数上限の10冊の本を借りては、家に持ち帰る。実家は古い一軒家で、縁側を網戸にして風に当たりながら、本を読み漁り、母が作るご飯を楽しみにして過ごしていた。飼っていた犬がひなたぼっこをするのを眺めて、気持ちよさそうだなとボーっとする。ただ、家にいるだけでは申し訳ないと思い、時々洗濯や食器洗いなどの家事は手伝うようにしていた。学校に行かなくとも、家で過ごせばいいのではと、そんな考えもめばえるようになった。外に出かけるよりも家で過ごすことが好きな私にとって、毎日がとても幸せに感じられたからだ。


 ある日のお昼ご飯を食べた後だっただろうか、父親から実家の応接間に来るよう、母伝えで呼び出された。父は母に、
 「二人にしてくれ。」
との一言を告げ、緊張した雰囲気で、とても不安だった。
 「えっ。なんで。」
と心のなかで呟いていた。
ときに厳しく怒ることがある父に怒られるのだろうかと思いながら、そろそろと障子を開ける。するりと鼻にはタバコのにおいが入ってきたと思うと、実家を訪ねて来られた方に座っていただく鮮やかなオリーブ色の革張りソファが目に入る。私が生まれる前に置かれるようになったソファは、両親がやっとの思いで見つけた、お気に入りのものだ。そのソファに遠慮がちに浅めに座り、低めの机を挟んで向かいに座る父は吸っていたタバコを灰皿にぐいっと押し付けた。ぐいっと大きなからだを前のめりに、少し間をおいて、父が口を開き始めた。
 「学校に最近行けなくなっているようだけど、どうした。いじめられているのか。」
 いきなりの質問に、口からでてきた言葉をそのまま伝えた。
 「ううん。いじめられてないけど、行きたくないだけ。」
 「うーん。そうか。お父さんが家にいることが嫌か、恥ずかしいのか。」

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