ピピピピ、ピピピピ。機械音が俺の夢に流れ、それが目覚まし時計の音だと気が付いた瞬間、ぐいと現実の世界に引き起こされる。昨日の出来事のせいで変な夢を見た。小学三年生の俺が会社の給湯室でパスタを湯がき、たらこソースを作っていた。まだ幼くて手先が不器用な俺は、上手くたらこの中身を皮から取り出すことができない。悔しくて涙目になる俺。エプロンを付けた上司が隣から口をはさむ。「おい、お前やる気あんのか」
キッチンタイマーが7分の合図を知らせたと思ったら、夢が覚めた。あんまりだ。夢くらい夢らしくあってくれ。
せっかくの土曜日なのに、つい癖で目覚ましなんてかけた俺がバカだった。嫌な気持ちを引きずってベランダの横引き戸を開ける。視界の隅に違和感を覚えた。隣のベランダを見ると、子供がしゃがみ何やら手を動かしていた。泥団子を作っているらしい。
うちのアパートは格安な分、壁は薄いしこういうプライバシー空間の区切りは甘い。それぞれの部屋のベランダは目の粗いアルミの縦格子で区切られてるだけで丸見えだ。どの部屋の住人も洗濯ものは部屋干ししている。そういや土曜は息子一人とか言ってたな。
一瞥し、キッチンへ行く。カフェオレを飲み干し、ベッドに戻る。スマートフォンで映画を見て、ゲームをして、お腹が空いたから時間を確認したら13時半で、冷凍のご飯とレトルトカレーをチンしてたらたらと食べ、またベッドに戻る。彼女なし一人暮らし。毎週似たような休日だ。
完全攻略したゲームの主人公をLv45まであげたところでふと外に目をやるとすっかり暗くなっていて、カーテンを閉めに立つ。窓枠に手をかけると隣のベランダに朝と同じようにしゃがんだ子供がいた。
こいつ、朝から動いてないのか。
そんなわけはないだろうが、泥団子の数は確実に増えていた。10個はあるんじゃなかろうか。どこからこんなに泥を持ってきたんだ。時計を仰ぐとまだ18時ではあったが冬も近い今、真っ暗だ。家の敷地内のベランダと言えど、ここは1階だし、このアパートに侵入者を防ぐ柵なんて無いし、何よりきっとまだ母親が帰ってきていないから、こんな遊びをしているのだろう。
なんだか可哀そうで、俺はベランダに出た。ガラリと戸の動く音でびくっと振り返り、大きく見開かれた子供の目が僕を捉える。
「ずいぶんいっぱい作ったな」
子供は口を開かない。泥団子に向き直り、一番大きいのを人差し指でいじくっている。
「お前、そんなに作って、どうすんの」
「……」
「どっからその泥、持ってきたの」
子供が黙って指をさす。警戒心が強くて結構だ。柵格子の向こう側の地面に大きく深い穴ができている。なるほど。柵の隙間から細い腕を伸ばし、ほじくり返したらしい。
よくよく見ると泥団子の大きさは明らかに大きいものと小さいものがあった。ほじりに限界が近づき、だんだん小さなものしか作れなくなったのだろう。
「一個、かしてごらん」
子供は瞬き一つせず俺を見つめ、柵格子の隙間から黙って俺に一番小さい団子を渡してきた。
「泥団子ってのはな、奥が深いんだよ」
柵格子の下から手を伸ばし、細かくさらさらした砂を団子にふりかけ、手のひらの分厚い所でこする。10回ほど繰り返したところで「ほら」と団子を返した。
俺の撫でた団子はさっきと明らかに手触りが変わっていた。ごつごつだった表面はなめらかでするするとした触り心地になっている。
「すげぇ」
子供がやっと口を開いた。
「だろ」田舎育ちを初めて誇らしく思えた。
「ただいまー」隣の部屋から声が漏れる。母親が帰って来たらしい。
「帰って来たな、じゃ、頑張れよ。綺麗になるから」
子供が俺を見上げる。口にはださなかったけど「うん」と言ったように感じた。