アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
――いつから俺たちは大人なんだろう。
昨日から一枚増えた掛布団を肩まで上げ、考える。
二十歳の誕生日を迎えた日、俺の皮が一膜剥け、にゅるりと大人な俺が顔を出す、なんてことなかった。あの時俺は大人になった、と自信をもって言える瞬間なんて無い。もちろん徐々に成長し、成熟し、子供が大人になっていくということは理解しているけれど、それでもなにか出来事があるはずだ。そういうのも、思い当たる節がない。
いつから大人になったのかわからないまま、俺は世間からも俺からも大人と捉えられるようになり、今や社会人2年目だ。ダンディーで尊敬される大人にはなれていないが、欲しいものを我慢できないような我儘で自己管理のできない子供でもない。
俺がこんなセンチメンタルなことを考えているのにはワケがある。さっき隣に人が越してきたからだ。良い感じに歳を取った女性と子供がセットで来て、なんだか自分を中途半端に感じてしまった。疲れているのかもしれない。
会社から帰宅し、ソファーにカバンを投げた瞬間、インターホンが鳴った。
「夜分にすいません。隣に越してきた田口です。」
玄関を開けると30半ばの女性が頭を下げてきた。センター分けにされた前髪と一つに束ねられた長い髪が、ほろほろと前にこぼれる。
「あ、わざわざどうも」
目尻や口元に皺はあるけれど、綺麗な人だった。皺があっても綺麗な人は、内面も綺麗な人だと俺は思う。だって皆消したがる老いとともに生まれるものが、馴染んでいるのだ。心もきちんと成熟しているように感じる。
「あの、これ、つまらないものなんですけど、良かったら。お昼間はお留守だったので、こんな夜分も失礼かとは思ったんですが、やっぱり挨拶はと思って。」
渡されたのはスマートフォンほどの小さな箱。おそらくお菓子か何かだろう。
「いえ、こちらこそ。わざわざお気遣い」
ここは一人暮らし向けのアパートだ。御一人様にとってちょうどいい大きさ。さすが皺が馴染んでいる女性は良いチョイスをする。「じゃあ、これで」と玄関を閉めようとすると、女性の後ろから子供が現れた。
「あ、うちの子です。ケンスケ、挨拶して。」
少年が頭を下げる。小学校3年生くらいだろうか。
「ケンスケ、初めましてって言って」
「……初めまして」
「あ、初めまして」
口以外、顔のパーツを全く動かさない。じとっと俺を見つめたま少年が挨拶をしてきた。
「恥ずかしながら、母子家庭でして……。平日の夕方とか、土曜とか、ケンスケ一人のことがあると思うんですが、ご迷惑はかけないようにしますんで。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」そそくさと玄関を閉めた。こういう付き合いは慣れていなかった。
自分の対応に粗相がなかったか、恥ずかしくてほんの2,3分のやり取りを何度も頭の中で回想してしまう。「あ、」ばかり言っていた気がする。この部屋で一人暮らしをして1年、初めて会話をしたご近所さんだった。俺は近所に挨拶回りなんてしていない。
母と息子の二人か。大変だな。お母さん。女手一つで子育てをして働いてる。立派な大人だ。ベッドに寝ころび、湿気を吸い込んで皺が寄った白い天井を見る。
「張り替えたい」
ぽつりと呟いた声が一人の部屋で消えていく。