【ARUHIアワード9月期優秀作品】『我が家のある日の出来事から』本多 ミル

 少し大きな台風が来ているらしい。このマンションは大きいので、外の雨風の強さも私はそう気にはならない。地震にも強い構造だ。しかし、後ろの景色が良い江戸川からの邪魔者がいない強い風は、窓ガラスにすごい音を奏でる。その前の日辺りから、カニ子は、台風がくるのをまるで悟っているかのような行動をとった。こんな小さな生き物が、天変地異を感覚で察するなんてあるのだろうか? 不思議だった。
 カニ子はまず食べなくなった。それから、古木と茎の間の体が隠れるくらいの葉の影に隠れたままじっとしていた。陶器に入れた僅かな水たまりにも来ない。葉の下の隙間で動かず身をひそめていた。それは、台風の前日辺りからと、当日過ぎ去るまでの一晩中で、翌朝はいつも通りに横歩きで出てきていた。

 人間は、その動物的な勘というものをいつから失ってしまったのだろう。
 直観力、言葉ではない感情、それは人間であるならば、愛情の上に成り立たないといけないと思う。思いやりがあってこそと思う。動物には直感はあってもその配慮はそうはない。
 しかしこのときに、カニ子の行動が母親への感情があるように見えてしまった。「大丈夫さ~~怖いときはこうやって隠れてじっと過ぎるのを待てばいい。ほら、また右に左に歩けるでしょう!」と、目の前の母に伝えているようだ。元気づけているようだ。昨晩、窓を揺らす風の音に……不安をあおる夜中のテレビのニュースに、寝不足になった母も、今朝は、またチャッチャッ……チャッチャッと歩くカニ子の姿に微笑んだ。
 
「昨夜はすごい嵐でしたね~。サキさん、なにかお買い物あれば行きますよ」と、いつものヘルパーさんが来てくれた。オムツのパッドを変えるのを恥ずかしくて嫌がるいつもの母も、今日は素直に従う。生きることは、ただありのままに生きること……おうちがあって、家族というより、なんだかファミリーと言いたくなる身近な仲間が、家族と共に周りにいる。心地良い場所があれば、それだけでハッピー! という気持ちになる。毎日が少しでも楽しく過ごせるように、悪いストレスを感じせずに送れるようにと、母の進んでいく認知症を思うとき、私はそれだけをただ願う。

「少し元気がないんじゃないの? カニ子ちゃん!」
 認知症になった方がなにか感覚的に悟れることが、母はそれ以前よりも優れてるかも! と感じることがある。世の中のことが常識的にわからなくなっていくという不安と反比例して、こっちが良くないとか、これはなんだか嫌な感じがするとか、この人は感じが良い、この人は悪い奴に違いないみたいなカニ子と同じような直感的な能力が母に見えるような気がするのは、私だけだろうか?
「そうも見えなくないね。なんだか、自然の中の潮の香が懐かしいのかと思っちゃうよね。カニ子のおうちは本当は広い外だものね」

 ここらがもう潮時だろうと、その後のある日の朝、私はカニ子のおうちのカゴを持ってマンション裏の土手を歩いて行った。手前の公園では、夏休みも終わりに近づいてきた子供達が、カニ子のおうちと同じカゴを持ってセミ取りに夢中になっている。今年の夏も暑い日々が続いてきたが、セミ達がとくに多いい夏だった。
「うるさいくらい、たくさんいるね~!」
「見て見て、こんなに捕まえたんだ。宿題にするの」
 公園で私のカゴを見つけて、「なんだ~カニかあ! でもすごいね。すぐ死んじゃうのもいるのに、飼ってたの?」と言った一年生くらいの男の子が虫カゴを見せてくれた。
「絵日記にするの?」
「そうすると思うけど、観察するの。で、パパが少し助けてくれる」
「書くのを?」
「ううん。パソコンで調べて教えてくれるから書くの~」
「絵は自分で描いてねぇ」
「うん。マンガ好きだから描くよ~ボク」
「じゃあね! セミ見せてくれてありがとう。がんばって宿題やってねぇ。終わったら逃がしてあげてね!」
「はーい!」

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