【ARUHIアワード9月期優秀作品】『我が家のある日の出来事から』本多 ミル

「なんだか、運命ですかね。お父様がお亡くなりになって喪が明けるという頃、こんなカニさんが現れて~~なんだかいつもこちらを見てますよね」と、月曜日のヘルパーさんがそう言った。
 そう、カニ子なんて名前を付けたが、このカニは、目の前の母親と私をいつも見ていた。お盆前で、父が帰ってきて我が家の様子を偵察しているのだろうかとも、あり得ない想像をしてしまう。小さな出っ張っている目が目立たないように動いて、こちらをじっと窺っている。
 私は、捕まえた土曜日の午後には、早速カニ子の部屋を用意していた。カブトムシ用の大きなカゴに、陶器の小物入れだった小さな浅い容器を水たまりにして、古木数本と、市販されている栄養価の高いカブトムシ用のクヌギまで入れてみた。陶器の小物入れは、オーストラリアのハーバーブリッジの絵が描かれている。江戸川の橋とはえらい違いだ。
 エサは、甲殻類にと書いてあるザリガニのエサを買ってきた。カニ子は小さいから、このエサを潰して、薄切りリンゴに載せたりしてみた。雑食であるカニだが、カニ子は、ザリガニのエサよりも、食パンをもっとも好んだ。炊き立てのご飯粒も冷ましてカゴに入れると、頭の上からハサミを右手左手と器用に下ろしながら、喜んで口に運んでいた。放浪生活で、お腹が空いていたのだろう。

「本当、いつもこっちを見てるわね。こっちを観察して、警戒してるのよ」
 母の顔がずっと穏やかになった。
「見てれば、なんだかかわいいわよね」
 私は、そのカニ子のカゴを母がいつも座っているソファの前の机に置いていた。
「はい、お昼が出来ましたよ」と、ヘルパーさんが焼きそばを作ってくれた。母はソファから、不自由な足でよたよたと数歩歩いてダイニングテーブルに座り食べる。
「焼きそばなんか食べるかしら?」
「試してみようっか!?」
 私が、ほんの少しをカゴの中のエサを置く場所に入れてみる。カニ子は、最初当惑している。慌てて反対方向に逃げて行く。恐る恐るまた焼きそばの方に近寄ってくるようだが、少しハサミでいじくって口に運ぶもののお腹がいっぱいなのか食べなかった。その様子は、ユーモラスで思わず笑みがこぼれる。
 そんな調子で、ギクシャクとしていた頃も過去にはあった中年の私と母の繋がりは、もっと昔の私の幼少期の頃のように、わだかまりのない雰囲気にと少しづつ変わっていった。カニ子の癒しの力だと思う。
「あなたはね、昔から捨て猫とか犬を見つけてきては助けてた」
「それで、社宅では飼ってはいけないって、いつもどうにかしてらっしゃいって怒られていたよね」
「本当、困った! しょっちゅう、貰ってくれる人を捜して……。でも、インコや文鳥とかは家にいつもいたのよね。メダカなんかは、いつのまにかカエルになっちゃってね~。虫や昆虫もいましたよ」
「まあ、フ、フッ~! うちの息子なんかも、ザリガニやトカゲも拾ってきて、脱皮して驚いたことがありましたけど。お嬢さんなのに、生き物がなんでも好きなんですね~」
 ヘルパーさんも、母と一緒に笑った。

 それにしても、このカニ子は、どうして江戸川から歩いてきてしまったのだろう。父が生まれ変わって、ちょっと家を覗き込みにきたのだろうか? 手のひらの四分の一ほどの小さなサワガニだが、毎日見ているとその行動もおもしろい。母が毎日楽しみに観察しているので、なかなか裏の川に返そうと思う気持ちが萎えてくる。
「でもね、この子、自然の中に返さないとね。死んじゃったら嫌だし」と、母はカニを案じて気にしている。次の台風が行き過ぎたら裏の土手に行こうと私は思って、「台風が来ているからね~。そのあとに川に返すね!」と、母親に言い訳した。

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