【ARUHIアワード9月期優秀作品】『家族とマイホーム』吉岡 幸一

 翌朝、母は退院した。病院に迎えに行ったときにはすでに引き払った後だった。あれほど迎えに行くと言っていたのに、母はおかまいなしに実家に戻っていた。
 実家に顔をだすと母は呑気に煎餅を頬張りながらテレビを見ていた。
「退院できて良かったじゃない」と、言っただけで私は母に説教めいたことは言わなかった。母は「おおげさなんだよ」と、答えはしたが、迎えを待たずに帰ってきたことを詫びることはなかった。
 いつもと変わらぬ風景。いつも座っている場所に母は座っている。私が小さいころも、大きくなってからも、母はときどきこのテレビの前に座ってはお茶を飲んだり菓子を食べたりしていた。私は年を追うほどに小さくなっていく母の背中をみて切なくなった。
「今日の夕方、家にきてくれないかな」
 私は様子を見にきただけではなかった。
「嫌だよ、一緒に暮らす話ならごめんだよ」
「退院祝い、それにお母さんの誕生日のお祝いよ。今日が七十一歳の誕生日でしょう」
「そうか、あたしも七十一か、へえ、お父さんより長生きしてしまったね」
「猫もいるのよ。お母さん猫好きでしょう」
「あら、猫を飼ったのかい。お祝いなんていうのはどうでもいいけど、猫がいるならまあ見にいってあげてもいいわね」
 母は目をかがやかせて言った。
 夕方になると迎えに行くまでもなく母はやってきた。買い物籠には猫の餌まで入っている。スーパーにでも寄ってきたのだろう。
 猫はこれまでもずいぶんと可愛がられてきたのだろう。人を恐れるということを知らなかった。母が手を伸ばして頭を撫でても気にする様子もなかった。
「昔あたしもね、猫を飼っていたんだよ。でもね、高齢だったからあんたが生まれる前に死んでしまったんだよ。病気だったんだね。この猫もそんなに若くはないだろう。寿命がくるまで、ちゃんと世話をしてあげるんだよ」母はそんなことを私に言いながら猫を撫でていた。
 この日は夫も早く帰ってきて家族そろって食事を取ることができた。誕生日の食事といっても母は洋食が苦手なので、いつもと変わらない内容だった。ご飯に味噌汁、漬け物、焼き茄子、焼き魚、翔太が好きなから揚げ、などだった。特別な物を作るより母はこういった普通の食事を好んだ。

ただホールケーキだけは用意した。梨のタルトケーキ、それを四等分にして食べた。猫は母の足もとで母が買ってきたキャットフードを食べていた。

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