アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた10の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
「立派なお家じゃないの」
母は家のなかを興味なさそうに眺めていた。
「築二十年の中古住宅だし新築のようにピカピカというわけにはいかないけど、あまり贅沢も言っていられないから」
私は暮らし始めて一ヶ月後にようやくやってきた母を案内していた。これまで何度も誘ったのだが「そのうちに」と言うばかりで、母はなかなかマイホームを見にこようとはしなかった。遠くに住んでいるわけでもなく、わずか徒歩十五分の場所に住んでいたのだが母の腰は重かった。
「庭もあるんだね。家庭菜園をするのなら、うちの茄子の苗をわけてあげようか」
「家庭菜園なんてしないわよ。ちかくにスーパーもあるから、そっちで買った方が手っ取り早いから」
「つまらないね。せっかく庭があるというのに、せめて花壇でもつくったらどうだね」
母はリビングの窓辺に立って庭を眺めながら言った。
「暇ができたら考えておくわ」
「家なんか買ってしまってお金がなくなったんじゃないのかい。あたしが死ぬまで待っていたら、いま住んでいる家をあげたのにね。もうじきだよ、死ぬのは」
「縁起でもないことを言わないで」
「はい、はい」
母は不服そうに唇をとがらせた。
「一緒に暮らしたかったけど、お母さんが駄目だって言ったじゃない。だからなるべく近くで家を買ったのよ。ここなら何かあったときはすぐに駆けつけることができるでしょう」
「あたしは一人がいいんだよ。子供は親から自立してこそ一人前なんだ。それにあんたら家族がきたら五月蠅くて堪らないからね。どうせぽっくり死ぬから駆けつけなくてもいいんだよ。満子に頼ることなんて何ひとつないんだから」
ため息が私の口からもれた。迷惑をかけないようにしているのはわかる。プライドだってあるだろう。弱々しい姿を娘に見せたくはないのだろうけど、無理をして強がっているように思えてならなかった。
「家を引き払って、お母さんがここに引っ越しておいでよ。部屋だって用意できるんだから。ひろいお家にひとりでいるといざというとき困るでしょう」
「困らないよ。子供の世話になるほど老いぼれていないし、それにお父さんと暮らした家を守っていくのはあたしの責任だからね」
母はリビングのソファに腰をおろすと意地を張るように言った。