自宅を購入する際に、全額を預貯金で賄う人はほとんどいらっしゃらないことでしょう。多くの人が利用するものが「住宅ローン」です。いまでは、多くの金融機関が扱っており、何千種類もの商品が販売されているといわれる住宅ローンですが、現在の形になるには、長い歴史と変遷を経ています。分岐点となる大事件を抑えながら、住宅ローンの始まりから現在まで、歴史を振り返っていきましょう。
日本の住宅ローンの始まりは?
住宅ローンは、その金額の大きさや返済期間の長さから、他にはない特殊な商品のように思う方もいらっしゃるでしょう。ですが、実は多くの商品を購入する際に利用されている「割賦払い」のひとつです。日本で住宅ローンが誕生したのは、今から約100年前の明治時代のことです。1897年(明治30年)、「東京建物」という不動産会社が他に先駆けて住宅の割賦販売を仕掛けたのが最初といわれています。
当時は日清戦争が終わり、戦争に勝利した日本の経済が上向いている時でした。住宅も、一般市民にとって手が届く買い物とはなっていたものの、やはり現金での購入はほぼ不可能。そこで高利貸しからお金を借りるものの、返済が滞る買い手も多く、社会問題となっていました。そこで、現在のみずほ銀行を創設した安田善次郎氏が、東京建物を創設し、割賦販売を開始したのです。
1945年(昭和20年)に第二次世界大戦が終了すると、戦後の焼け野原のなかで公的住宅ローン会社が産声を上げます。それが、住宅金融公庫(現在の住宅金融支援機構)です。住宅金融公庫が創設されたのは、1950年(昭和25年)のこと。これにより公的な貸付制度が開始されます。高度経済成長の波に乗り、また鉄道網が発展したこともあり、首都圏を中心に多くの「ベッドタウン」が開発され、昭和期には「家を買って一人前」という考えが定着するまでに至りました。現在は価値観の多様化により「賃貸派」も増えたものの、自宅購入はやはり「人生で一番大きな買い物」とされ、ビジネスマンにとって大きな目標のひとつになっています。
住宅ローンはどうやって普及していったの?
東京建物が住宅ローンの扱いを開始した当初は、支払期間は5年以上15年以内と規定されていました。高度経済成長期を迎えるも、1970年代まではいわゆる低金利の住宅ローンはありませんでした。 1970年代、この後にご説明する「住専問題」の主役となった住宅金融専門会社(住専)によって低金利の個人向け貸付ローンが広く浸透し、民間の銀行も取り扱う現在の流れへと続いていきます。
一方で、先ほど申し上げたように、政府系金融機関である住宅金融公庫は1950年(昭和25年)に創設されました。それからしばらく、住宅ローンを借りるといえば住宅金融公庫から借りる時代が続きましたが、東京で1度目の夏季オリンピックが開催された1964年(昭和39年)前後の頃から政府系金融機関と、民間の銀行・金融機関ローンがしのぎを削る時代が到来します。それに合わせて融資を受ける人の属性(収入や勤務先など)により「金利に差をつける」ことが次第に行われるようになり、職業や貯蓄などによって差が生まれる「優遇金利」という言葉が次第に広く知れ渡るようになっていきます。
【フラット35】の歴史は?
2003年、住宅金融公庫は独立行政法人化し、住宅金融支援機構となります。住宅分野においては自身で貸し付けを行うことができなくなり、代わりに証券化により市場で調達した資金を長期固定金利で住宅購入者に貸し付ける住宅ローンが誕生しました。これが【フラット35】です。誕生してから約10年、「自宅を購入したいけれど民間銀行の変動金利は不安」といった声の受け皿として、住宅ローンの世界で重要な役割を担っています。
住宅ローンに関わる大事件
さて、多くの人が恩恵を受けている住宅ローンですが、実は住宅ローンを巡っては、何度か大きな大事件が日本で、そして世界で起こっています。そこで、代表的な2つの事件を振り返ってみましょう。
(1)住宅金融専門会社と住専問題
住専問題とは、1996年(平成8年)に発生した、住専の破綻処理に公的資金が注入された問題のことです。1980年代後半から1990年前半にかけて、日本はバブル景気という好況に沸きました。この時期、「土地の値段」に代表される不動産価格は高騰し、日経平均株価は史上最高値である3万8,957円44銭をつけました。
大蔵省(現在の財務省)は、異常な投機熱を冷やすために、「不動産融資総量規制」を行います。一言で言えば、不動産取引に流れる融資の量を一定水準以下に抑えるための政策です。これによって、不動産取引の額は大きく減りました。しかし、その一方で総量規制は住専と農協系金融機関を対象から外したため、農協系金融機関から住専の不動産関連融資が一気に膨らむという歪みが生じました。
住専は1970年代に、銀行に個人向けローンのノウハウがなかったため、大蔵省の主導により大手銀行などが共同出資して設立されたものですが、銀行が住宅ローン市場に進出してからは市場を奪われてしまい、住宅ローン以外の不動産融資を多く扱っていたことも背景にあったといえます。
さらに、日銀により急激な金融引き締めが行われ、バブル景気は一気に崩壊、株価はもちろん、不動産価格も大きく下落しました。不動産は売るに売れない状況となり、融資先は返済どころか金利の支払いさえも危うい状況となって、不動産向け融資は不良債権化してしまいました。その結果、当時、7社あった住専は合計6兆円を超える不良債権を抱えて次々と破綻することになります。
その結果、農協系金融機関の破綻も危惧される事態となり、政府によって住専救済法が制定され、公的資金注入が行われたのです。農協系金融機関は当時の与党であった自民党の強力な支持母体であり、その背景から国民の税金が注入されたと、大きな反発を生みました。 この住専問題は、住宅ローンを巡る日本最大の事件といえるでしょう。
(2)サブプライムローン問題
住宅ローンを巡る事件としてもう1つご紹介するなら、2007年から2009年にかけてアメリカで起こったサブプライムローン問題があげられます。これは、アメリカの住宅バブル崩壊によって引き起こされた世界的な金融・経済危機のことをいいます。
2000年代前半の金融緩和と低金利政策により、アメリカでは住宅購入、投資ブームが起こるとともに、金融機関の貸出競争が激化します。その結果、本来であれば融資を受けられないような低所得者層にも住宅購入のための融資が行われるようになりました。サブプライムローンとは、こうした低所得者を対象にした住宅ローンのことです。
しかし、住宅バブルが崩壊すると、ローンの延滞や債務不履行が急増し、多くの個人が破産して家を失うことになりました。また、このサブプライムローンを担保にした金融商品が世界中で販売されていたため、サブプライムローン問題は、最終的には世界金融危機を引き起こしました。2007年のパリバショックや2009年のリーマンショックなどもこの一連の流れの中で起こったものです。
サブプライムローン問題により、アメリカ国内で総資産の1/4が消失したといわれています。
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住宅ローン控除など制度の歴史
上でご紹介した2つの事件の経緯からもわかるように、住宅ローンは、それぞれの国の施策と深い関わりを持っています。
現在も行われている住宅ローンに関わる政策の代表的なものが「住宅ローン控除」です。一定の条件のもと住宅ローンの借入金を所得控除するこの制度の誕生は古く、もともとは1972年に導入された住宅取得控除まで遡ります。景気や国の財政状態に合わせ拡大縮小を繰り返しながら、最近は消費税増税時の負担代替案としても存在感を示しています。 同様に消費税増税時の負担軽減策として、2014年に導入されたものが「すまい給付金」です。一定の条件のもと、10万円から50万円を給付制度として活用されています。2019年には消費税が現在の8%から10%になることが決定している(2016年11月現在)ため、このような臨時制度が再び導入される可能性もあります。
このように、さまざまな観点から発展してきた住宅ローン。歴史を知って、様々な特徴から自身にあった商品を選択し、活用していきたいものですね。
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