文教地区・国立市の築58年団地が600戸弱の大規模マンションへ! 変わりつつある街の様子をレポート

文教都市として知られる東京都国立市で築58年、298戸の団地を589戸の大規模マンションに建て替えるという計画が進行しています。これまでまとまった数の住宅供給があまり多くなかった地域でもあり、国立駅前ではそれ以外に賃貸住宅の建設も。変わりそうな国立を見てきました。

国立
国立と聞くと1926(大正15)年に建設された木造の駅舎をイメージする人もいるかもしれません。駅の高架化に伴い、一度解体、保存された上で街の魅力発信拠点として再建されました(筆者撮影)

文教地区に指定された街、国立

東京都市部、国立市は一橋大学を中心に公立、私立を問わず、教育機関が多く集まる文教地区として知られています。

国立駅前
国立駅前。ロータリーに「国立文教地区」という看板が建てられています。このまちにとっては、文教地区であることには大きな意味があります(筆者撮影)

教育機関が多い街の様子を表現する言葉としてとして文教地区という言葉はよく使われていますが、実際に特別用途地区(文教地区)に指定されている地区は東京23区では文京区、千代田区、渋谷区、港区など11区、市部では国立市と町田市しかありません。

しかも、国立市にとっての文教地区指定は地域のアイデンティティとして大きな意味を持っています。

理想の文教都市を目指して開発

谷保天満宮
甲州街道沿いにある谷保天満宮。鬱蒼とした森の中にあり、梅林は特に有名です(筆者撮影)

国立市が現在のように整然とした街路のある街になったのは大正時代になってから。それ以前は今の甲州街道を中心に民家が建ち並び、中心となっていたのは谷保天満宮、谷保駅のある「谷保村」エリアでした。

駅前の駅周辺案内地図
駅前の駅周辺案内地図を見ると、整然とした区画、道路からなっているまちであることがよく分かります(筆者撮影)

その谷保村の北部一帯の山林を理想の文教都市にしようと箱根土地株式会社(かつて西武グループの中核企業のひとつだった国土計画、後のコクド、現在のプリンスホテルの前身となる会社)による開発が始まり、まずは街路が造られ、1926(大正15)年には国立音楽大学(当時は東京高等音楽学院)が校舎を建築、移転してきました。その年には箱根土地が大学、住民誘致のために国立駅を造り、鉄道省(当時)に譲渡しています。

一橋大学
市の中心部に大きな存在感を持って立地する一橋大学。広大な敷地内には古い建物も多く、歴史を感じます(筆者撮影)

翌1927(昭和2)年には東京商科大学(現在の一橋大学)が移転、1929(昭和4)年には南武線が全通、昭和20年代には第二次世界大戦による疎開、戦後は住宅復興によって1951(昭和26)年には谷保村から国立町になります。

つまり、国立はもともと文教都市として計画され、誕生した街なのです。

市民が議論の末に文教地区指定を選択

加えて、もうひとつ、大きな出来事がありました。市のホームページにある「くにたちのあゆみ」の中には『市民のまちづくりの出発点「文教地区指定運動」とは…』という項目にその経緯が書かれています。

それによると文教地区の由来は単に大学や学校の数が多いからではなく、1950年代に町(その当時は国立町)を二分する大論争のために決められたと書かれています。

国立市
国立市が立地するのは国分寺市と立川市の間。両方の頭文字を取って新しい駅名は国立となったそうです(筆者撮影)

論争が起きた1950年代は、1950(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発した時代です。隣接する立川市には米軍基地があり、多数の米兵が進駐していました。その影響は国立にも及び、米兵相手の簡易旅館や飲食店などが出現し、いかがわしい商売を始めだしたそうです。それに対して環境を守ろうとする市民や学生を中心に、東京都文教地区建築条例の指定を目指して運動が始まりました。

同条例は市街地の青少年の環境を守ることを目的としており、指定を受けると風営法の適用を受ける料亭・キャバレーなどの建物は建てられませんし、ホテル・旅館建築に制限がかけられます。

環境は守られますが、一方で経済的発展のためには文教地区指定は障害になる、町がさびれて税金が高くなる、という意見もありました。そこで大論争が起こり、町議会では熱気にあふれた議論が繰り広げられ、一転二転した結果、文教地区指定を議決して都に申請。1952(昭和27)年に文教地区の指定を受けました。

この活動を通じて、国立市では開発より環境を優先したまちづくりを選択したとも言えるわけで、現在もその流れは続いています。文教都市であると同時に、環境や景観などに意識の高い現在の国立市はこうした歴史から生まれてきたのです。

かつて大論争で開発が否定されたことから、国立市ではこれまであまり大きな開発は行われてきませんでした。

筆者はこの数十年間何度も国立市を訪れていますが、ほかの街と比べると非常に変化が少ない街で、この間で特筆すべき変化といえば駅の高架化、国立駅から一橋大学前を通って南にのびるメインストリート・大学通り沿いの高層マンションの建設くらいでしょうか。以前に比べればマンションが増えはしていますが、いずれもコンパクトで低層なものが中心になっています。

国立富士見台団地を建替え

その国立市で、大きな開発の計画が発表されました。1965(昭和40)年に竣工した地上5階建て、総戸数298戸の国立富士見台団地の建替えです。同団地は2023年時点で築58年。

建物の老朽化やガス、上下水道、電気などのインフラの劣化、バリアフリー基準への不適合などさまざまな問題を抱えており、2014年頃から管理組合内で建替えの検討が開始されていたといいます。

その後、2018年5月に建替え推進決議を可決。2019年1月に事業協力者の選定を行い、2022年4月の一括建替え決議の成立を経て、同年11月に建替組合が設立されています。

さくら通り沿い
さくら通り沿いに長く白い塀がのびており、その中が開発地。向かいは国立富士見団地第一団地(賃貸)です(筆者撮影)
解体
外からわずかに解体中の様子が見えました(筆者撮影)

2023年11月の時点では団地は白い塀に囲まれており、内部では解体作業が進められています。この後、2024年春には本体工事着工、2026年度には竣工する予定です。

地域に貢献することで高さ制限が緩和

国立富士見台団地マンション建替え事業
立地するのはメインストリートから少し入った辺り。国立高校のすぐ近くでもあります。(出典:野村不動産ホールディングス株式会社プレスリリース「国立富士見台団地マンション建替え事業」権利変換計画認可のお知らせ

場所は大学通りと交差するさくら通りを少し東へ入ったあたりで、最寄りのJR南武線谷保駅からは徒歩9分ほど。JR中央線国立駅からはバスで3分ほどです。

国立駅
国立駅、谷保駅間は2キロメートル弱。地元の友人によると、平坦なので歩くか、自転車利用可が多いそうです(筆者撮影)

国立駅から現地、谷保駅までは平坦で道もまっすぐなので歩けないことはありませんが、さすがに20分以上はかかります。国立駅を利用するなら、バスか自転車利用が現実的でしょう。

国立富士見台団地マンション建替え事業
完成予想図。従前の5階から8階へ。道を挟んだほかの団地は5階建てで、少し高くなるわけです(出典:野村不動産ホールディングス株式会社プレスリリース「国立富士見台団地マンション建替え事業」権利変換計画認可のお知らせ

新しい建物は従前の5階建てよりも高い8階建てで、戸数は589戸が予定されていますが、販売戸数は今のところ未定です。

従前よりも高い建物が可能になったのは、敷地の南北通路の再整備、地域貢献施設の整備、緑化計画などが地域の快適性を高め、街並み整備に寄与する計画であることが認められたため。それによって「国立市まちづくり条例」で最高高さの緩和の承認が取得できたのです。その結果、最高高さが19メートルから特例基準の25メートルとなり、600戸近い大規模なマンションが誕生することになったわけです。

完成までにはまだしばらく時間はありますが、これまであまりマンション供給がなかった地域だけに期待する人も多いのではないでしょうか。

コンパクトな街ながら多様

大学通り
国立駅から南へまっすぐ伸びる大学通り。取材が紅葉の時期だったこともあり、何人もの人がこの歩道橋から写真を撮っていました(筆者撮影)

では、その国立市について以下、簡単に紹介しましょう。市内にはこれまで述べてきたように北に国立駅、南に谷保駅、矢川駅があり、国立駅~谷保駅間を桜、イチョウの並木が美しい大学通りが貫いています。

東京都立国立高等学校
1980年に都立高校として初めて夏の甲子園に出場したこともある東京都立国立高等学校(筆者撮影)

大学通りの左右には一橋大学、桐朋学園(小中高)、東京都立国立高等学校などがあり、そこから少し入るとNHK学園高等学校、東京都立第五商業高等学校、東京女子体育大学・同短期大学などの学校が点在。

一橋大学付近
一橋大学付近。歩道の脇には駐輪場があり、自転車を利用する人が多い街であることも分かります(筆者撮影)

それ以外に郵政大学校もあり、地図を見ると本当に学校の多い街であることが分かります。当然ですが、街中にも若い人たちが多く、活気を感じられます。

安全に配慮、憩える場所もたくさん

市内の通りは基本、碁盤目状になっており、そこに一橋大学の敷地角を通るように斜めに旭通り、富士見通りの2本の通りが敷かれています。大学通り以外の通りでも並木の美しい道が多く、歩車だけでなく、自転車も分離されているのが特徴。安全性に配慮した街づくりが行われてきているのです。

並木道
並木道のあちこちにベンチが置かれています。写真中央は伐採された桜並木を再利用したベンチです(筆者撮影)

ほかの街と違うのはあちこちにベンチが置かれていること。のんびり座って木漏れ日を楽しんでいる人たちの姿も見かけました。

国立駅、団地沿いなどに商業施設が集中

大学通り沿い
大学通り沿いにあるこだわりの食材などが置かれていることで知られるスーパー。所得の高い住民が住んでいることがうかがえます(筆者撮影)

商業施設は国立駅周辺、富士見台団地周辺に集まっており、特に国立駅周辺には複数のスーパー、ドラッグストア、飲食店などが集中、買い物に便利です。

学生が多いためか、ボリューム自慢の飲食店がある一方でしゃれたレストランもあるのも国立らしいところかもしれません。

駅から住宅街に
駅から住宅街に向かうあたり。マンション1階にはギャラリーのほか、珈琲豆をローストする店や海外からの品を扱うブティックなどがありました(筆者撮影)

店舗で目立ったのは、ギャラリーや古書店も含めた書店、骨董品店など。文化度の高い街ということでしょうか。作家作品を置くカフェなどもあるようです。

ただし、駅、通りなどから離れた住宅街ではコンビニエンスストアなどもなく、夜道が暗い場所もあることは覚えておいたほうが良いかもしれません。

農地、直売所も点在

畑
谷保天満宮から多摩川寄りの畑などが広がるエリアでは直売所も。このあたりでは最近建売りの戸建てが増えています(筆者撮影)
国立富士見台団地第一団地
国立富士見台団地第一団地の1階でも、くにたち野菜が生産者の地図を掲示したうえで販売されていました(筆者撮影)

商業施設が多数ある一方で甲州街道から多摩川にかけては農地も残されており、直売所や「くにたち野菜」と書かれたのぼりもあちこちで目にしました。国立市は面積8.15平方キロメートルと全国でも4番目に小さな街ですが、多様性があるのです。

街づくり活動が盛んな地域

マルシェ
マルシェや勉強会、自然観察などさまざまなイベントが開催されています。地元に馴染むためにはこうした活動に参加するという手もあるかもしれません(筆者撮影)

また、街中の掲示板を見ると市内ではさまざまなイベントが行われており、街で活動する人も多いようです。

その中でも、国立富士見台団地内にはほかにはあまり見かけないおもしろい活動があります。国立富士見台団地には第一団地から第四団地(建替えが行われるのは分譲された第四団地。それ以外は賃貸)があり、そのうち、第一団地には商業エリアむっさ21というエリアがあります。

店舗が並ぶ一画
店舗が並ぶ一画。カフェ、くにたち野菜と地域食材の店、手作り雑貨とリサイクル品を取り扱う雑貨屋、ものづくりのシェア工房、貸しホールの5軒が市民と商店主、学生などが関わって運営されています(筆者撮影)
一橋大学
一橋大学だけでなく、津田塾大学の学生も参加。本格的なカフェとなっています(筆者撮影)

そこにカフェ、くにたち野菜と地域食材の店など5軒の店があるのですが、それを市民と一緒になって運営しているのは学生。

このエリアには商店主や学生、市民、行政が一体となって活動するNPO法人国立富士見台人間環境キーステーションがあり、2003年以降団地の空き店舗を活用して運営を続けてきているのです。

学生が街づくりに関与する例はよく聞きますが、それが20年も続き、地域になくてはならない存在になるまでの例はあまり聞きません。国立市という街にとって学生はなくてはならない存在ということでしょう。

国立駅前では新たな商業施設、賃貸住宅が建設中

国立駅南口
国立駅南口のすぐ脇で建設中の商業棟。まだめずらしい木造の4階建てで、環境にも配慮した工夫が凝らされたビルになるそうです。その奥が賃貸住宅棟(筆者撮影)

団地の建替え以外に、駅前ではJR東日本グループの株式会社JR中央線コミュニティデザインによる木造4階建ての店舗棟nonowa国立SOUTHの建設が、2024年春の完成を目指して進んでいます。

ここにはオーガニックにこだわった食品を扱うスーパーや365日年中無休で診療する小児科クリニック、薬局などが入ることになっており、その奥には9階建て、98戸の賃貸住宅棟もできます。

これまで変化の少なかった国立市で不動産が動き始めています。住んでみたいと思っていた人には好機でしょう。ぜひ、現地を歩いて魅力を確認してみてください。ちなみにお勧めは紅葉、桜の時期。街の美しさに感動するはずです。

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