今さら聞けない神社と寺の違い 最近まで区別がなかったって本当?

年越し・年始は寺社仏閣に参拝し、気持ちを新たに一年のスタートを切りたいところ。しかし、「初詣は神社と寺どちらに行けばいいの?」「神社と寺の違いがよくわからない」と迷う方もいるのではないでしょうか。

実は、一昔前までは神社と寺の区別は曖昧でした。この記事では、神社と寺の違いや参拝方法などについて解説します。

神道と仏教

神社と寺は、ともに宗教施設です。両者の最も大きな違いは、信仰する宗教にあります。この章では、神道と仏教について詳しく見ていきましょう。

神社は神道

神社は神道の宗教施設

神社は神道の宗教施設です。神道とは、古くから日本に伝わる宗教で、滝や岩、山などの自然や祖先などさまざまものを神として祀っています。自然を畏怖し、先祖を尊ぶ日本人の暮らしから生まれました。

自然に宿る魂への信仰は「精霊崇拝」、故人を祀る信仰は「祖霊信仰」と呼ばれ、この二つが神道の根幹をなすとされています。神社によって信仰する「御祭神」は異なり、複数の神を祀る神社もあります。

鏡や玉、剣などを神が宿る「ご神体」が神社の奥に安置されていたり、山や滝などの自然物そのものをご神体と考えて、そのそばに神社を置いたりと、信仰の方法もさまざまです。

また、神道には、仏教やキリスト教のように開祖が存在しないため、教えや宗教史をつづった聖典はありません。しかし、8世紀ごろに編纂された「古事記」「日本書紀」には、神道のルーツが記されていると考えられています。

なお、神社で神職に就いている人は一般的に「神主(かんぬし)」と呼ばれ、そのなかで最も位が高い役職が「宮司(ぐうじ)」です。神社の運営・管理に加え、御祭神に捧げる儀式を執り行っています。

神社の名称
神社の名称は、「神社」以外に「神宮」「宮」「大神宮」「大社」「社」の6種類があります。

それぞれの神社の権威や御祭神によって格式が定められており、たとえば「神宮」「宮」は皇室や国と縁のある人物が祀られる場所、「大神宮」は伊勢神宮と関係のある場所、「大社」はその地域の中心的存在に付けられる社号です。

また、「神社」は一般的な神社、「社」は小規模な神社に付けられる社号であり、身近な存在であるといえるでしょう。

寺は仏教

寺は仏教の宗教施設

寺は仏教の宗教施設です。仏教は古代インドで発祥した世界三大宗教の一つで、日本には6世紀の半ばごろに伝来したとされています。

開祖はブッダ(本名はゴータマ・シッダールダ)で、日本での名称は「釈迦」「仏」など。仏教は伝播するにつれてさまざまな解釈が生まれ、現在では数多くの宗派に分かれています。

寺には、ブッダをかたどった仏像や、護法神(天部の神々)の像があります。これは神社におけるご神体とは存在意義が異なり、礼拝の対象であり、教義を伝えるものです。そのため、仏像の多くは参拝者の目に触れる場所に置かれており、有名な仏師(仏像を作る職人)による作品には、歴史的・美術的価値も見出されています。

なお、寺には修行途中の「僧侶(そうりょ)」、修行を終えた「和尚(おしょう)」がいます。寺の運営・管理を行う「住職」は、一般的には和尚が務めることが多い役職です。

寺の名称
寺には、「院」「庵(いおり)」「大師(たいし、だいし)」などの名前がついている場合もあります。

院は寺のなかにある別舎を指す言葉です。寺とあわせて「寺院」と呼ばれることもあり、寺の別称としても使用されます。

庵は出家(世俗を捨て仏教の修行に入ること)した人が住む家を指す言葉です。また、大師は位の高い僧に与えられる称号であり、真言宗の開祖である弘法大師など高僧を祀る寺が「~大師」という名称で呼ばれることもあります。

神社と寺はもともと区別がなかった?

今では神社と寺は明確に違いがありますが、実は明治時代前までは区別がありませんでした。どのような経緯で現在のような形になったのでしょうか。

神仏習合
神仏習合とは、先の章で紹介した神道と仏教が融合して信仰されることを指します。

6世紀中ごろ、当時の朝鮮半島南部から南西部に君臨していた古代国家・百済の王から仏像と経典などが贈られ、日本に公式に仏教が伝来しました。

仏教を擁護する蘇我氏と、それに反対する物部氏の二つの有力者間での仏教抗争の果てに蘇我氏が勝利し、仏教は国教となります。日本初の寺である法興寺(現在の飛鳥寺)が建てられ、皇室や貴族も仏教を学び始めました。

こうして仏教が日本で信仰が広がる過程で、もともと存在した神道と融合し、神と仏が同一視されるようになったと考えられています。

このため、寺の境内に社が建てられたり、神社の境内に仏堂が置かれたりと、異なる宗教施設が混然一体となって同じ場所にありました。祝詞(神道で神に捧げる文章)と仏教の読経が同時に行われたり、神前で読経が行われたりと、宗教儀式も同化していたとされています。

大黒天はもともとインドの神様

福々しい大黒天ももともとはインドの破壊神

神仏習合が広まった結果、日本では神道上の神と仏教の護法神が融合される例も少なくありませんでした。代表的なのが「大黒様」などの名称で親しまれる大黒天です。

現在では「七福神」の一柱に数えられ、打出の小槌と大きな袋を持った姿で有名な大黒天ですが、そのルーツはインドの古代神・マカーハーラ。日本で広く知られるにこやかな表情とは正反対の、憤怒の形相を持つ破壊神でした。その後、マハーカーラは仏教の護法神・大黒天として日本に伝来し、神仏習合によって神道の大国主命(オオクニヌシノミコト)と同一視されるようになります。

日本に伝わった後は、さまざまな変遷を経て現在のような福々しい姿に変貌し、五穀豊穣や開運・出世の神として信仰を集めるようになりました。

明治以降の神仏分離
明治維新以後、政府は神道の国教化を目指すために、神仏習合を廃する「神仏分離」を推し進めました。

この政策によって神道と仏教は隔離され、それぞれの宗教施設や儀式がはっきり区別されるようになります。同じ場所に置かれていたご神体と仏像は、それぞれ神社と寺に受け渡され、仏教的な用語が記された神名も変更されました。

また、この政策をきっかけに全国各地で起きたのが「廃仏毀釈」です。特権を持つ仏教に反感を覚えていた民衆や、神道の復権を考える神職、廃寺で得た財源を軍事費にあてようと考えていた各地の為政者の思惑が、大きな仏教排斥運動につながったとされています。

廃仏毀釈は数年で終息しましたが、神仏分離政策によって現在でも神社と寺は別々の存在として分かれています。

神社と寺の参拝方法の違い

神社と寺の参拝方法には違いがあります。お参りの際には、正式な作法をおさえておきましょう。

神社は二拝二拍手一礼
まず入口となる鳥居の前で一礼し、参道を歩いて拝殿へと向かいます。参道の中央は神様の通り道としている神社も多いので、左右どちらかの端を歩くのが基本です。途中、手水舎(ちょうずや)で手と口を洗い清めましょう。

拝殿ではまずお賽銭を入れて、正面の鈴を鳴らします。その後、深いお辞儀を2回、両手を2回打ち鳴らし、最後にもう1回お辞儀をする「二拝二拍手一拝」が正式な作法です。

寺は合掌
寺には鳥居の代わりに山門と呼ばれる入口があるため、入る前には一礼しましょう。参道は中央を歩いても問題ありませんが、山門の敷居は踏まずにまたぎます。

途中の手水舎では、神社と同様に手と口を清めましょう。また、常香炉(じょうこうろ)という、線香を供える大きな炉では、線香の煙を浴びることで心身が清められるとされています。

御本尊である仏像の前に到着したら、お賽銭を入れて静かに手を合わせます。神社のように拍手は行いません。

まとめ

神社と寺は、ともに古くから日本の生活に深く根付いている宗教施設であり、文化的価値の高い場所も多くあります。

「参拝するのは初詣のみ」という方でも、近くの神社や寺がどのような所か調べたり、正式な作法でお参りをしたりすることで、日本人の心に深く刻まれている宗教観に触れることができるかもしれません。

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