【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『虫捕りばあちゃん』阿部凌大

 セミになったおじいちゃんは庭の木に止まり、その声をおばあちゃんに聴かせ続けた。夏になり他のセミの声が景色を埋め尽くしても、おばあちゃんはどの声がおじいちゃんのものか、分かっているらしかった。穏やかな微笑みを浮かべながら、おばあちゃんはいつまでも縁側に腰かけ、その声に耳を澄ませていた。そして数週間後、おじいちゃんは再び去っていった。

 それからまた数週間経ち、おばあちゃんの家に遊びに行くと、おばあちゃんは縁側に腰かけ、横に置かれたケースを眺めていた。その中には小さな光があり、夕暮れの中で、その光はぼんやりとおばあちゃんを照らしていた。おじいちゃんは今度は蛍になったらしい。
「久しぶりに迎えに行けたわ」
「良かった、それじゃあ元気になったんだ」
 ケースを見ると、何故かおじいちゃんはケースの中を激しく飛び回りながら、その身体をケースの壁へと何度も打ちつけていた。
「どうしたんだろう?」
「ここから出してくれって言ってるのよ」
 そう言っておばあちゃんがケースの蓋を外すと、その光はするすると線を描きながら飛び上がり、そのままゆっくりと庭の外へと飛び始めた。
「行きましょう」
 おばあちゃんは私の手を握り、おじいちゃんを追って外へと歩き出した。久しぶりの手の感触は、あの頃と何も変わっていなかった。おばあちゃんの期待や高揚が、その手から伝わり私へと届いた。
 おじいちゃんはそのまま山の中へと入っていった。草木を踏みしめる感触や森の中の匂い、そしておばあちゃんの背中、その全てが私には懐かしかった。
 おじいちゃんの光が突然山道を逸れ、横にあった藪の中へと入っていった。私達も後を追い、そこをかき分け越えると、目の前に現れたのは、一筋の小川の広がりだった。そしてそこには数えきれないほどの蛍が、柔らかな光を纏いながら飛び回っているのだった。それは一面の眩さと言ってもよかった。景色を覆うほどのその光の粒達は、時折波のようになって、その表面に美しい揺らぎすらを見せていた。
「あら、まあ、」
 短い声だけがおばあちゃんの口からは零れていた。ふとその横顔を見ると頬には涙が、目の前にある小川と同じように煌びやかな反射を見せ、流れていた。私達は小川のせせらぎだけを聞きながら、その手を強く握り合い、いつまでもその光景を眺め続けた。

 おばあちゃんはその次の年に亡くなった。穏やかな死だった。葬式の間、私は何度も自分の手の平を見つめ、そして握った。悲しいという言葉では賄いきれないくらいに悲しかったし、少しでも顔に込めた力を緩めれば、涙があふれ出して止まらないことに気づいた。
 葬式が終わり外に出ると、目の前を一羽の白い蝶が通った。そしてその蝶が飛んでいく先には、もう一羽の蝶がいた。二羽の蝶は互いに近づくと、その身体を寄せ合うように飛びまわり始めた。夕陽の光はその白い羽を暖かく輝かせていた。それは仲睦まじく、私はきっといつまでもそうしているのだろうと思った。そしていつまでも、そうしていられるのだと思った。

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